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松浦五郎景近

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校正

翻刻にあたり、古浄瑠璃正本集刊行会編『竹本義太夫浄瑠璃正本集上巻』(大学堂書店、平成七年)所収の大阪大学附属図書館蔵本(底本と同一、以下【竹】)本文と比較対照した。
(一オ・9行目)【底】すたれたるを—【竹】すたれたる
(一オ・13行目)【底】給ひけり—【竹】給ひける
(五ウ・2行目)【底】およはぬ.次第也.—【竹】およはぬ次第也.
(五ウ・3行目)【底】ことも.すいぶん—【竹】こともずいぶん
(八ウ・16行目)【底】仰ける.—【竹】仰ける
(九オ・8行目)【底】有様は.—【竹】有様は
(九オ・12行目)【底】申べき.—【竹】申べき

翻刻

第一
松浦五郎景近{まつらころうかけちか}
清水利大夫正本
さて.も.そのゝち.それつら/\うきよのていをかんがふるに.ふうふいもせの
かたらひは.そのかみふたばしらの御神より今すゑのよにいたるまて.か
わらぬ道とは申せども.よこしまにおちいるときはかならす国ほろび身
をうしなふ.つゝしむべきは此まどひなり.こゝに人王九十七代のみかとを
はくわうみやうゐんと申奉る.いにしへせいしんの道をまなび.たへたるを
つぎすたれたるをおこし.民をあわれみ給ひしは国土ゆたかにおさまり
てめてたき御代こそ.ひさしけれしかるにごだいこのてんわうのわうじ.
なかづかさのきやうたかよししんわうをは一のみやとそ申奉る其御心ゆ
うにやさしくまし/\て.しいかくわげんに御心をよせ給ひ.あかしくらさせ
給ひけり.扨御前は御めのとはだのたけふん.同左衛門のぜうなりしげと
てぶんぶになをゑしつわものなり.其外きんじうのさふらいともあまた相
つめ申つゝゆゝしくしゆごし奉る.やゝありて一のみや@けるは.いかに人々.
此ほとはそれがしなにとやらん心むすぼゝれ.はるゝかたなきうき心とき
しもかものさくら花今をさかりと聞なれば.明日かもへ参詣し花見の
(一オ)
挿絵(一ウ)
挿絵(二オ)
ゆふらんもよほしていさ/\人々なぐさまん.いつれも仰を承り御うけを申それよりも御車
をとゞろかし上がも.さしてそしやさん有.さて神前に.なりしかは.わに口てうど
打ならし.なむやかもの明神とこゝろしつかにふしおかみ.扨人々を召ぐして御しらすに出
させ給ひつゝ.よものけしきをみ給へは.けに時しおふ春なれや.木々のこすゑも色まして
なかめもつきぬ其中に.まづさきそむるはつざくら.色もこび有やうきひの花のにほひや
いやまさる.はまでみ事のしほかまや.思ひは何ときりがやつ.九ゑ十ゑのさくら花.いとあいら
しきちござくら.柳こしかやいとさくらおいての後は.うばざくら.あをばまじりのおそ桜
はつ花よりもめつらしく一人けうに入給ひ.いかにかた/\.春ひと時のなかめには.千とせの
よはひをのぶるとはよくも.つたへしことはかな名木おほしと申せども.此花にしくはなし
あらおもしろのけしきやと御きげん.はなはたかぎりなし.御前しこうの人々も是にうへこすけう
あらじと.千しうばんぜいざゝんざのしゆゑんのけうをそもよほさるゝ.扨其後に.一の宮びわ
を引よせたんじ給ふ.かんにたへたる御ばちおと心もことはもおよばれす.おりふしむかいにまく
打まはし是もしゆゑんとみへけるが.まくの内よりも二八はかりの上らふの.さも花やかにらうた
けていわんかたなき.御有さま.ひわのねにひかされて心もそらにうきくものそなたのそ
らもなつかしく思はずしらずに出給ひ.宮をばつく/\と御らんして.扨もけたかき御すか
た.むかしならはなりひらきやうかすかの里の御すまゐ.ひかるけんじの大しやうの.其いにしへ
(二ウ)
もかくやらん.あらいつくしの御すかたとうつゝなげにぞみへにける.一のみやも御らんして.扨もゆう
なる有様や.かやうの君とまくらならへて一夜はかりの袖ぬれて.語りあふせの中と
なりせはいかはかり.うきよの思出なるへしと.ふかく心をうつし給ひ.左衛門なりしげを召れ.
あれなるまくの女郎はいかなるかたぞ.尋て参れと仰ける.なりしけ承り.さん候あれこそは.今
出川右大臣の御そく女にてわたらせ給ふと申上る.宮大きにゑつきまし/\てぜひにお
ゐて此姫をむかへとらんと思召.扨人々を召くして御所に帰らせ給ひける.是はさて
置.其比又つくしぶぜんの住人まつらの五郎かけちかとて色このみのわかもの有.大ばんやくを相
つとめおりふし都にありけるが.いとのとかなる春のそら色めきわたる野へのてい.誠に
おもしろかりければ大たか小たかすへさせて.内野のへんをかりまはしあたりほとりの小
鳥共.おつ立/\道すからざんざめかして通りけるかもの杜に来りしか.とある花のこか
けをみれはまく打まはし其中にくわんげんをそうせしはけにおもしろくそみへにけり.かけ
ちか是をきく.よりももとよりこのむ生れつき扨々たへなるぶがくやと打とほるてい
にもてなしまくの内をみてあれは.二八はかりの女郎のゆうにやさしきふせいにてこと引
ならしておはします.かげちか心もうかれつゝかたはらに立のきて.つく/\とあんじけるは.
たとひいかなる人なりともうばいとらんはやすかるへし.さりなからたれ人やらんと思ひし
所に.まくの内よりしもべのもの出けるをまねきよせ.なふあれにまします女郎はいか成
(三オ)
挿絵(三ウ)
挿絵(四オ)
人そと尋ける.しもべ承り.さん候是は今出川う大しん殿の御そく女也と申ける.かけちか
大きによろこびいばらき源太を近付聞たるか此姫は九重にならびなきなさけの
ふかき君と聞.さいわひ今日うばひ取.いもせのちぎりをかはさんとまくの内へいらんと
す源太しばしとおしとゝめ.あまり急なる御しうげんまづ/\帰らせ給ひつゝ.ゑんの
つかいを立給ひむかへとらせ給へといふ.いやとよ.じじつうつりなはいか成さゝはり出来
なん.爰のけはなせとかけ出る源太なをもおしとゞめ.其儀にて候はゝ帰るさを待
かけてうばひとらせ給ふべし.おゝなんぢかいふことく爰は人めもしげしとて.と有
こかげに立よりて今や/\と待ゐたり.くだんのしもべ立帰りよしを角と申ける
藤井しやうげん聞よりも扨はさやう有けるかと.まくの内へつゝと入女ばうたちも姫
君も.おなしことくに出立せさいけへしのはせ.奉る.まつらか郎等是をみて.や其姫
君にはよう有と一度にどつとはせよりやがてこしをうばひとる.源太なのめによろこ
び立よりこしをあけければ.あんにさういのらうじん也.是はといふていばら木はあとを
もみずしてにげにけり.ときにしやうげん大おんあげ.なふなさけなしかた/\.
望の姫を打すてゝいつくへゆかせ給ふそや.かへせもとせとよはゝれとも其行方
はみへざりけり.どつとわらふてそれよりも.姫君の御供申家形をさしてそ帰
ける.彼まさはるかふるまいとんちぶさうの侍やとみなかんせぬ.ものこそなかりけり
(四ウ)
第二
扨其後.一の宮しんわうはいつぞやかもにて見そめ給ひし.しらぎくの御事を.明
くれ思ひくらさせ給ひ.とやせんかくやあらましと.打しほれたる御有りさまいとしほ/\とぞみへ
給ふ.あゝ我なからあさましや.よしなき事に思ひそめうつゝなき我か身やな.其おもかげもわ
すられず.なをも思ひはますかゞみ.はるゝまもなき御ふぜい.あまりたへかね給ひつゝ.左中
将ためふゆを召れ.かやう/\のしだい也.いかゝはせんとぞ仰ける.ためふゆ承り.其姫君の事な
りせは御心やすく思召せ.それかしがはからひ申何とぞあわせ奉らん.さいわひ姫君の御めの
とやよひと申女房は.それがしがつまのためにはあねなれば.かれを頼申さんに何のしさい
か候はん.はや/\御文あそばせと手に取やうにぞ申さるゝ.しんわううれしく思召.もみぢが
さねのうすやうに.思召るゝことのはを.さもこま/\とかきしたゝめ.ためふゆにこそわたさる
る.ためふゆ御文給りて.御心づよくまたせ給へと.おうけを申それよりもやよひがもとへそ.
いそがるゝ.宿所になれはやよひ立出たいめんし.こはめつらしの御出やさあらばまづこなたへ
御入被成候へとておくの.ざしきにしやうじける.やゝあつてためふゆくだんのあらまし語らるゝ.やよ
ひよしを聞よりも.こは思ひよりなき仰かな.御身もしろし召ことく朝夕おやごの御せいた
うつよくあそはし候へば.中/\申いるゝ事なりがたく候と.あいけうなげにぞ申ける.ためふゆ
聞給ひおゝ尤御身の申ぶんことはりには候へ共.頼むがたなき我か身なれば.せんかたなみのよるべ
(五オ)
なき.たよりもさらにあらざれば.ひらにつたへてたび給へ.ひとへに頼み申とてよぎなげにそ申
さるゝ.やよひも今はせんかたなく左様に思召うへは.扨せひにおよはぬ.次第也.此うへはかなはぬ
ことも.すいぶん申てみ申さんと.やかて御文請取て.けによき方さまのたよりやとにつことわら
ひ申ける.ためふゆなゝめならずうれしくてばんじは頼み申也.先それかしはいとま申候とてした
くを.さして帰らるゝ.扨それよりもやよひのつほねわざくれなかだち申さんと.御玉づさを
取持て御所をさしてぞ急きける.是は扨置.まつら五郎景近はしらぎくの
まへに心をかけ.たひ/\しよもうしけれ共さらにせういんせさりけり.いかにもして思ひをと
げんと.いはら木源太を近付て.いかに景とを.かのしらぎくのまへをたひ/\所望しぬ
れ共.中/\おくるべき返事にあらす.いかゝはせんとぞ申ける.源太承り扨々もどかしき
仰かな.さほとに思召ならは.右大臣のやかたへおしよせ.むたいに姫をうはひ取やす/\とちきら
せ申さん.かけちかゑつきかぎりなく.おゝ此義尤然るへしはやとく/\と有ければ.承り候と
すくれしつわもの弐百よき.ひし/\と物のぐかためはや打立や者共といさみにいさんで
それよりも今出川へぞおしよする程なくやかたに成しかばふたへみへにおつとりまきときを
どつとぞ上にける.やかたの内には思ひよらさる事なれば.上を下へぞ返しける.其時右大臣の
こうけん藤井のしやうげん正吉高やくらにかけあかり.や何者なれはらうせきやなのれ聞
んと申ける.時によせての方よりもいばらき源太すゝみ出.何ものとはおろかやな.只今
(五ウ)
是へよせやるは.まつら五郎かけちかこうけんいはらき源太むねとをといふもの也.いぜんよりかけち
かしらきくのまへの御事を.たひ/\申かけられたる所につゐにせういんなきゆへに.此たひはそ
れかしが御むかへに来りけり急て姫君を渡され候へ.わたされぬにおゐてはむたいにふんごみ
ばひ取べし.いかに/\とかうしやうにそよばゝりける.しやうげんかンら/\と打わらひ.何姫君をう
ばゝんとや.おかしききやつめがいひ事や.おんこくはたうをすみかとしれいぎもしらぬかげちかに.
いかて姫君をおくるべき.其うへ弓やをたいし押寄来るひやうりものあれおつちらせもの共と
しきつてげぢをなしければ.りやうこのいかりをあらはせし若者とも.承り候と我も/\と打
て出両ぢんたがひに入みたれ火花をちらしてたゝかひける.然る所へ日野大なこん介
ともきやう右大弁としもと大いきつひではせつき給ひ.両方押へたていかにかた/\御
門のげきりんはなはたしく我々是へ来りたり.此せんじやうのていたらく是はいか成しだいぞ
や.きんりちかき所にて上をはゝかる事もなく.わたくしのいしゆいこん中/\もつてきつくわい
に思召す.先比ぢんを引給ひ.さうはう共にとゝまるべしとのりんけん也との給へは.よせてのかたにもみ
かたにもちよくぢやうと有うへは.ちからなきしだいとていさみにいさむいはらきもせんかたなくて
引ければ.しやうけんいきにおよばずしてしゝのいかりをおさへたがひにいくさをやめにけり誠にちよくめいをおもん
じ両方ぢんをひきし事尤もかふにて有べけれときせん上下おしなべ扨かんせぬ者こそなかりけれ
第三(六オ)
挿絵(六ウ)
挿絵(七オ)
さる程にみかとにはくぎやう大臣めしあつめ.扨もきのふらくちうのらうせきていゐをおそれぬ
しだい也.さりなからちよくめいをおもんじさうはうちんを引けるは先以しんべう也.扨又二人のもの共のし
ゆくいはいかにと御尋有ければ.くらんどうせうべんとしもとつゝしんて申上る.松浦五郎かけちか
わたくしのいしゆをもつて.むたいにおしよせ一せんにおよび候と.はしめおはりの事共をいち/\そう
もん申さるゝみかとげきりんかきりなくかけちかめせとのせんし也.承り候とやかて使を立らるゝ.か
けちか御うけを申つゝすぐに御前に出仕有.みかと大きにけきりん有.扨々なんちは道をそむき
しくせもの也.しざいにもおこなふへきがまつ/\ごくやにおしこめよ.かしこまつて候とかけちかを
引たてごくやをさしてぞ.急ぎける是はさて置しらぎくの御めのとやよひのつほねは.
一宮の御せうそくを取持て.ひめ君のおはします.一ま所へ参りつゝ.御文を取出し.これ/\御らん
候へ.さる御かたよりと申つゝ姫君に奉れば.しらぎくは御らんして.おろか也とよやよひのつほね.此
ころのさうどうもみづからが身のうへよりいできたりと聞なれば.今さらさやうの御文をよした
れ人の頼めばとて.頼まれ給ふはおろか也.はや/\かへされ候へと.あいさうなげにそ仰ける.やよひ
かさねて申やう.なふいかに姫君様さやうにつらくの給ふなよ.其御文のぬしこそはよのつねな
らぬ御かた也.御返事有ならは御ためよろしかるへきぞ.何しにわらはかあしき事をは申へ
きと.色々をすゝめ申ける.姫君仰けるやうは.さるにても此文のぬしはたれともしらく
ものかゝる返事はおほつかなし.たれ人さまぞとの給へは.めのと今はつゝむにたへぬ事なれは
(七ウ)
有のまゝにそ申ける.姫君はつと思召.扨はさやうに有けるかや.いつそやかものぎよゆふの時見そめ
たりし君なるとや.なふうれしの人の玉つさやと.取手おそしとひらきみれば.先ひつせいのけ
たかさよ.すみ色のいつくしさみるにやさしき人心そゝろに心うかれつゝ.くり返しみ給へは爰に一
しゆのうたぞある.しらせばや.しほやくあまのけふりたに.思はぬ風になひくならひをと.姫君此
うたを御らんして.いとゝ心のみたれつゝいわねの山の岩つゝし.いわねと色にあらわれて墨すり.な
かしふてをそめ.こま/\とかきしたゝめやよひにこそは渡さるれ.つほねはよろこひそれよりも
宿所をさしてぞ帰りけるかくて其後.一宮はひとりともしのかけふかく.ぼうせんとしておはし
ます.かゝりける所へやよひのつほねはかの御返事を持来り一宮に奉れは御よろこびはかき
りなく.しはらくなかめておはします其後やよひ申けるは.承り候へは右大臣様の御やかたに.
明日まりの御会の有と聞く.若もさやうに有ならはよき幸の御事也.是をしのひの
はしとなし御出あそはせ給へやとさも頼もしくぞ申ける.一宮は聞召.よきてだての御
めくりやな.何事も/\御身をふかく頼むぞとよぎもなげにぞ仰ける.やよひおうけを
申つゝぜんごのしゆひを取つくろひ一の宮の御出を今や/\と待ゐたりかねてあいづ
の事なれば時分はよしと一の宮.御出まし/\それよりも.しばらくまりを御らんあれはす
けともとしもとふちふさすへふさ四人の人.いろ/\のしやうそくにてかゝりのうちへそ入
給ふゆゝしかりけるぎしきなり後に思ひあわすれば.よきなかだちとぞ聞へ
(八オ)
ける.去間姫君もさすか思ひのすてかたく.かもの御ゆふの折ふしに.見そめ参らせ
たりしより人めをつゝむ恋衣今きてみるぞよし有と.物かけよりみ給へはむかし
なからの山さくら今一しほの色まさり.心もそらにうき立て.なかめ入ておはします.す
てに日もくれ入相のかねつく/\となり渡れは.まりのにわも事過ぬ.扨其後に
一の宮ぎよかんならせ給ひけれは.右大臣御さかつきをすゝめける.さひつさゝれつの
ふつうたふつよもやう/\にふけゆけはおの/\いとま給りて宿所/\に帰らるゝか
くて其後.一のみやは右大臣にいとま申させ給ひ.帰らせ給ふよしにもてなし.かたはら
に立しのび.しはらくじこくを待給ふ心の内こそ久しけれよもしんかうに成ぬ
れはやよひ立出.さこそ待わひ給ふらんこなたへ入らせ給へやと.姫君のおはします.ね
やのほとりにともなひて.やよひはおくにぞ入にける.然る所へ右大臣のてうあい
し給ふ花ざきとのもと申て.いとやさしき人有.御とのゐにあいつめしか宮をみつけ奉
り.やあそれなるは何ものぞ.かゝる夜中に御さちかく来れるものはおほへすとあら
らかにとかむれば.宮はつと思召すがさはがぬていにもてなし.あゝおとたかし/\くる
しからさるものなるぞ.扨もけふのゆふけうに御身のすかた一め見しより.心うかれわす
れんとするにわすられず.人めをしのび今一度何とそ御身にあわんため.かくまて
は忍ひつれ.まつかひ有てあふたる事.是そふかきゑんならんと.さも有さふにぞ仰ける.
(八ウ)
とのも御すかたを見奉るに実にも宮にておはします.是はと思畏り.誠に数ならぬ我
しきに御心をかけられ.うつゝなき御有様もつたいなき次第かな.此上は御意にはそむき申まじさり
なから.いつもそれかし右大臣へ時をたかへすしゆつし仕り候.ときうつりしゆびあしけれはいかゞなり.
こよひは先いかやう共御忍ひ被成御帰り被下候へ.重て御意にしたがひ申さん.先々御いとま給
はらんと.いひすてゝかしこへ入にける.宮打ゑませ給ひ我なから扨もけうがるちりやくかな.さぞや
姫君待かねてやおはすらんと.ひとまへしのはせ給ひつゝ.内の体を見給へはともしひかすかにかき
あけて.数のさうしを引ちらし.おきもせす.ねもせぬさまに打かへてひとりみぬよの.人をともとし
て.いと物ゆかき有様は.せきやうのきりのまに出たる月の御よそほひ.あをやきの春風になひ
く風情をかくやらん.一のみやとび立斗に思召.きてうをあけて入給へは姫君は御らんして.おもはゆけ
なる御有様にてさしうつふひてぞおはします.宮は此よしみ給ひて扨も/\つれなき御よそほ
ひうきふししけき我か思ひ.人しれず恋こかるかのふかくさの少将の.もゝよかよひし言葉も.今身の
うへにくらふれは.いかてかかはり申べき.さやうにつらき御ふせいさりとてはうらめしけれ.たゝとにかくに一夜斗の
御なさけかけさせ給へと仰ける.姫君よしを聞召.あまのよそなる君ゆへに.心うかれて待わひし.其
かひもなき御よそほひ帰らせ給へと申さるゝ.宮此よしを聞召うつゝなき仰かな.数なきおくる
玉づさのたひかさなりて今ははや下ひもとけしこよひしも.其かひなきとはいかにぞや.二八にあ
まる御身にてしどけなしともおもはれす人めを忍ひ身ををかくしあこかれきぬるかひもなく只かへ
(九オ)
挿絵(九ウ)
挿絵(十オ)
れとのことははさりとてはなさけなや.心にかゝる事のあらはあかさせ給ひてかへされよ.姫君は何共い
らへましまさて.くものゐに.あれたるこまはつなく共二道かくる.人はたのまじと.もとのつくへにより
そふて.さうしをよみてそおはします.宮此よし見給ひておゝ.やかて心得たり.扨は我さきにと
のもにたはふれし.其ことはをほの聞てさやうにうらみ給ふかや.あゝおろかの御心や.君ゆへにこそま
よひぬれそれとや人にしられしとさま/\たはかり申つれあまてる神もしろしめせ君ならて.よそ
に心の有べきやと.さま/\わびさせ給ひける.姫君につこと打わらひ扨はさやうにましますか.あま
てる神とかけてとは御いともじの.心ねや我もたらちをたらちねのゆるしもなきに.契り
なはよそのそしりもはつかしや.とは思へともねやにさす月のひかりにかけまがふ君の仰は
そむかじと.いとしみ/\とよりそひてたかひにひよくの御ちきり.まことにふかきなさけの
みち上下ばんみんおしなへみなうらやまさるこそなかりける
第四
扨其後一の宮しん王は.しらきくの御前にふかく心をうつし給ひ今ははや.ひよくれん
りの御契りあさからざりし御中とならせ給ふを.御父ごたいごの天わうは此よしを聞
召.扨々かやうのていたらく世のじんこうをもかへりみず.ほしひまゝ成ふるまひやとげきりんはな
なたかきりなく.とさのはたへなかすへしとちよくせんなされたりけれはちからおよはす一の宮けんひ
いしか.てにわたり.とさをさしてぞ下らせ給ふあはれなりける次弟也是は扨置はだのたけ
(十ウ)
ふん此よしを聞よりも.取物もとりあへず今出川の御所へはせさんし.ひめ君の御前に参り
つゝ涙をながし申やう一の宮はとさの国へ御下りましますと斗にてなみたなからに申ける.
しらぎくは聞召.それは誠かかなしやとわつとさけばせ給ひける.おつるなみたのひま
よりもくとき事こそあはれ也さりとては/\みつからかやうなるごうのふかきものはなしはやたゞ
ならぬ身となりてつもる月日もかさなれば何と成べき我身ぞやつまにわかれて我ひ
とりあとにのこり参らせてたいないのみとり子をふりすてゆかせ給ひしはあらうらめしき
御心是はいかなる事やらん.そのとさとやらんいふ所へわらはをつれゆけや人々とくとき立て
ぞなげかるゝ.たけふん此よし承り御ことはりしごくせり.さあらは御供申へきはや/\御出候へと
さま/\いさめ奉れは.姫君なゝめに思召.いざやしのひ出んとてたびのしやうそく被成
ける【道行】あゝいたはしや.姫君はたけふんやよひ御供にて.すみなれ給ひしみやこをばまた夜
をこめて出らるゝ心のうちにて.あわれなるよの.とうじさいじは四つづかやいつ又六つの車
みち舟にはのらねとこがなはてめてを.はるかになかむれは.かすみうつれるにし山や見
わたせはすへを.頼みに松のをの.やしろはりしやうのあらた也わくはうのひかりかけうつるかつら
川をよそにみて心も爰に恋づかの其いにしへを思ひ出て.我か身の上に引あわせい
とゝ物うきたひのそら.心のやみにかきくれてわくかたもなき身の行衛ゆくあしもと
もたど/\とよどの川せの水車たれをまつやら.くる/\くると.しなよくまはれ水
(十一オ)
挿絵(十一ウ)
挿絵(十二オ)
たれの里すぎ行ばおとこ山.何とてつまのなきやらん我は君をこひかねてかゝる.うきめを
木津川やはる/\きぬるたひ衣あわせてたへやいわしみつみかけあらたにみへ給ふあら有
難の御りやくとしはしらいはいなされつゝ.けに春の日のならひとてよもの山々の木々のこす
ゑにさく花のいろはなにおふこんりうじかねつく/\と松かせのおとにひらきやいたふらん
くずはの里になく鳥は我をとふかとあやしまるうどのゝあらのほとへても.帰らん事はかた
のゝはらしけりしもりのこなたなる.江口の君のきうせきや心しつかにふしおかみ.けにや
誠に此君は.本地ふげん大ほさつしゆしやうさいとの其ためにかりの此世にあらはれて
うきなをなかす.なから川南をはるかに見渡せはびよう/\たるうなはらにとをく出た
よきのち山.道あきらかに千世かけて.つきぬみやゐや住よしのちきるかひなき身の行
ゑまもらせ給へとふしおかみ.なには入江の.あしのまに出入舟の数々にいそく心の程も
なにののみ聞しだいもつのうらにもはやくつき給ふとにもかくにも此人々心のうち是
そまことに世の中の物のあわれは是なりたゝ是なるはとかんせぬものこそなかりけれ
 第五
扨其後いたはしや姫君は物うきたひの御つかれにうきかうへにも月日にせきもりすへ
ざれば御さんのひもをとき給ふ御子取あけみ給へは玉をのへたる若君にておは
しますくわほうつたなき此わかや其いにしへのことならはきてうの内にしとねをしきさもゆ
(十二ウ)
ゆしく有べきにしつがふせやのうぶ屋のてい何となりなんかなしやとしつみたへいり
なげかるゝおつるなみたのひまよりもくとき事にてあわれなれあさましや我
つまのおんこくはたうのたよりもなきそなたのそらもなつかしくせめてはさて此
わかをみせ参らする物ならは.御よろこびは有へきにさて/\いかなる身のゆくゑ.
何となりなんかなしやとまたさめ/\とそなけかるゝ.たけふん此よし見参らせけに
御たうり也ことはりなりさのみなけかせ給ふなよ.我々かくて有内はやかて君にあ
わせ奉らん御心やすく思召とさま/\いさめ奉る心のうちこそたのもしけれ
是は扨置松浦五郎かけちかはみやこにてごくやのすまゐをいたせしか.ばんのものを
たばかりやう/\とかくれぬけては有けれ共いつくも王土にてたゝずむへきかたもなく
此うらにはせ来り今はけみやうをあらためあら川源五とそ申ける.たいせん一そうも
よほしてかいしやうをすみかとし夜とうかいぞく切取しがうどうしてぞくらしける
かれにおとらぬ盗人共七八十人よりきしてかなたこなたとはいくわいす有時よ
りきのもの共召あつめ.聞は大もつのうらには都よりみめよき女はう宿を取.此廿日
あまりゐるよしを承り.いさ是をうはひ取りさいこくのかたへうるならは数のたから
を取へき也.しからん時は世をゆる/\とくらすべきと思ふいかにと有けれは.けつきに
すゝむぬす人とも.此義尤然へしとみな一どうにおうけを申.おゝ其義にて有ならは
(十三オ)
いそけ打たてものとも時分はよきぞおし入に承り候とわれさきにとおしよせやり
とかふしを打はなし一度にどつとみたれいる.たけふんやかて聞つけまくらもとなるたち
おつとりらうせきなりといふよりはやくさきにすゝむやつはらをゆんてめてにきつてお
とし残りしやつはらとうざいへおつちらす其ひまに源五はうらのてよりみたれいり.
姫君めのとを引立ゆきかたしらずにうせにけりしはらく有てたけふんは大ぜいをお
つはらひ.はしりかへつてみてあれは人々はましまさず.なむ三ほうしそんしたり.いかゝはせんと
おもふうちに夜もしら/\とあけかたなり.ゑゝ口おしやかいぞくめらがうばひ取しと覚へ
たり.おのれならく迄もおつ付取かへさでおくべきかと小船に打のつてあとをし
たふておふてゆく是は扨置あら川源五かけちかは姫君めのとを大船に打のせ
ざんざめかひてこき出す.やう/\おきなかになりければ.しすましたりとよろこひかのひ
め君をみてあればゆうにやさしき御かたなり.源五こゝろに思ふやう.此姫を人てにわた
し申さんより我かつまとさためんとおもひいかにみやこの上らふ.我はせんちうをいゑとしけん
ぞくあまたあいしたかへ.のほりふねくたりふねほしひまゝにしたかへる大しやうなれば.何にふ
そくはなけれともいまたさたまるつまもなし.御身をそれかしかつまとさため申さんとより
そふてぞ申ける.姫君は聞召こは思ひよりなき仰やな.御らんなさるゝことくわらはおつ
との有ものなり.御ゆるしなされ候へとなみたをなかし申さるゝ.源五かさねて申やう.御み
(十三ウ)
のおつとはそれかしか.夕べ思ひのまゝにうつてすてたり.今は心にかゝるものもなしひらに我にした
かひ給へたゝし我をいやしきものと思召さんかたにてなし.我も其いにしへは松ら五郎景近と申
者にて候ひしか.去御方にむさと心をかけしゆへ天しの御かんきをかうふり今比浦にきよぢう
する上らふをつく/\とみ参らせ候へは.其姫にはばつくんにまさりたる御すがた.さ有君には我一命成
共奉らんに.何の命のおしからんや.ひらにしたかひ給へやとことはをつくして申ける.姫君はつと思ひ扨々
是程迄うんめいつきかたきの手にわたりし事の口おしやまてしはし盗人めをたばかり時節を待んと
思召.なふいかに殿さま我つまは夕べうたれて候へは心にかゝるものもなしさりなから此若が父なれば.せめ
て百か日も過行は.仰にしたかひ申さんと打とけがほにての給へは.源太は聞ておふ/\うれしゝ/\御
身も其若が有ゆへにいにしへを忘れぬ也といたひけ成若をおつ取.うすきぬに引つゝみおきへたん
ぶとすてにける.姫君はつと斗にてたへいらせ給ひける.めの源五か袖に取付やあいかに盗人め.いた
ひけ成若君を何とて海へすてけるぞ.取てかへせ/\とて舟はたを打たゝひてりうていこかれなきに
けり.ゑゝ口の過たる女哉と.ひつつかみ是も海へ取てなけ.やあいかに是成女.せひしたかはぬ物なら
は汝も共に命をとらんとこしの刀に手をかくれば姫君こくうに打むかひなむ大し大ひのくわん
せおんほさつならびにかもの大明神只今すてし此若もろ共に.後の世たすけたひ給へと.一心にき
せいしてこくうを三度らいはいし給ふ.ふしきやにはかにこくうしんどうらいでんしくろくもおほ
ひかさなつてうん中にいかづちあらわれ源五がくびを引ぬひてくもゐはるかにあかりけり.す
(十四オ)
挿絵(十四ウ)
挿絵(十五オ)
さまじかりける次第也其後南のかたよりしうんたな引有かたやくわんぜおん天女とげんじあまくだ
らせ給ひ姫君に打むかひ汝我をしんずるゆへ今のなんをのかれし也此上いよ/\しん/\いたす
へし猶行末をまもらんとの給ふみこゑの内よりもすなはちくわんせおんと御身をへんじひかり
をはなつてこくうにあからせ給ひけり姫君あまりの有かたさに御あと三度らいはいし給ふ
然所へたけふんは大船におつ付船中をみてあれは姫君一人もくねんとしておはします.あらうれ
しやつゝがなしと.急き船へとんでのり是は/\と斗なり.其時姫君右のあらまし語らるゝ
かゝりける所へ御ざ舟にあまたのろかいをはやめつゝさんさめかしてのほりける.ゑんはくちせ
ぬならひにや人々御舟御ざぶねになかれかゝる.すいしゆかん取立上り.やあ何ものなれば此御
舟をしらさるや.是は尊良親王様の御舟也.一とせてんしの御かんきをかうふらせ給ひしか.御し
やめんのちよくし立たゝいまきらくなさるゝにらうせき也とぞなのりける.姫君やたけふんは
此よしを聞召.ゆめ共さらにわきまへずふながわに立あかり.いかにといわんにむねふさかり
こゑたゝす.手をあけてまねき給へは.一の宮は御らんして.する/\と立出給ひ是は/\と斗
にてこしかたのうかりし事語もつきぬ有さま也.さてそれよりも御ふねにのせまいらせみやこを
さして上らるゝまことに末の御はんしやうせんしうばんぜいめてたしとも中/\申.斗はなかりけり
延宝六戊午年正月吉日清水利大夫正本
(十五ウ)


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