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曽我花橘

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翻刻にあたり、古浄瑠璃正本刊行会編『古浄瑠璃正本集 加賀掾編第五巻』(大学堂書店、1995)所収の大阪大学付属図書館蔵本(底本と同一、以下【古】)と本文と比較した。

(二オ・4行目)※=御×゛
(二オ・5行目)※=御×゛
(三ウ・2行目)※=御×゛
(三ウ・6行目)※=御×゛
(五オ・8行目)※=御×゛
(六ウ・6行目)※=御×゛
(十一オ・1行目)※=白×八
(十一ウ・8行目)※=御×゛
(十五ウ・2行目)【底】其儘—【古】其侭
(十六オ・3行目)※=白×八
(十六ウ・5行目)※=白×八
(二十九ウ・8行目)【底】我儘—【古】其侭
(三十二ウ・6行目)【底】たゝずむ—【古】たヾずむ
(三十六ウ・8行目)【底】檜ノ木—【古】桧ノ木
(三十八オ・5行目)※=白×八
(四十オ・5行目)【底】親子ぞ。—【古】親子ぞ
(四十一ウ・5行目)【底】祝義—【古】祝儀
(四十四オ・7行目)【底】聞受よ—【古】聞受けよ
(五十三ウ・7行目)※=御×゛
(五十九オ・2行目)※=不×゛
(六十三オ 2行目)※=てへん×交

翻刻

曽我花橘
加賀掾正本
相鶴経{さうくはくけい}に曰。鶴は一百六十年にして雌
雄{しゆう}相見てはらみ。一千六百年に胎化{たいか}して産{うむ}と
いへり。又曰。内に土木の気をやしないて外青黄{せいわう}の
色なく。天寿{じゆ}をのづからはかりなく聖人位に有時ん
は。鳳凰(ほうわう)にともなつて砌{みぎり}に遊ぶ池水や。いはほの松
に千代ふべき所見立て鶴が岡。氏の社{やしろ}を立ゑぼしの
大将軍の。御代久し。時は後鳥羽院建久三年。源の
(一オ)
頼朝卿征夷将軍に拝任有リ。大なごんの大将もとのごと
く。官位前代に超越{てうおつ}しゐふう古今に卓然{たくぜん}として
。賢徳四海に及ぶこと。庭に砂をまくごとく四民した
がひ打なびく。柳の間に御出有ければ。土井小山千葉上
総評諚の月番は。かぢ原平三景時御前にすゝみ出
。兼て仰出されし富士の牧狩。いよ/\明年五月下旬に
極る旨。諸国相ふれ候所に。前代未聞のはれわざと日
本国中。弓矢にたづさはる程の者に残る人は候はじ。然れ
(一ウ)
ば面々の手勢組下入みだれ。主は家人を見たがへ家臣は
傍輩を取はなす様に混雑{こんざつ}し。且は口論喧嘩のはし
。所詮此度の狩装束は甲冑{かつちう}をたいし。軍出立にいた
させば近年打続。平家※追討の西国合戦。泰衡退
治{やすひらたいぢ}のあふ州※陣。ほとをりさめぬ武士共馬印はた印。面ン々
互に見覚て御狩のそなへ混乱せず。をだやかに候べし右の
段仰わたされ。然るべしとぞ言上す頼朝聞召。いや/\左は
有べからず。鎧甲{よろひかぶと}は朝敵をせいする兵器鳥獣に用んこと
(二オ)
。弓矢神の恐れ武具をかろんずるに似たり。しかのみならず
狩は一旦の遊興にあらず。国民の栄枯{ゑいこ}をかんがみ。太平の代に
かねて武道を忘れぬをしへ。人君明主のもつはらとするわざ
。されば狩の文字を四季に書わけ。狩装束狩詞弓馬の
家々ひでんとす。去ながら馬印鑓印。袖印に至る迄家
の紋を目あてとす。諸大名の家同じ紋多かるべし。一家一門
の外同紋を改め。印のまぎれぬ様に申付べし。人馬の出立装
束は家々の古実に任せよと仰有所に。下野の国飯原左衛
(二ウ)
門経景。老鶴を檻{おり}にこめ工藤祐経取次にて。此鶴領内
の沢にあさりしが。ふしぎのことに付献上とぞ披露する。頓て御
座近くによせさせ御らんあれば。右の足に金のはりがねにて。むす
び付たる金の札くちせぬ文ン字あり/\と。六孫王経基{つねもと}是をは
なつ。我源の末孫千とせの鶴の代々かけて。くもゐにかける天が
下をさむる国のしるしとせよ。延喜十二年二月吉旦とぞほり
付たる。又左の足に銀の金具にはゞきを入。寛治{くはんじ}六年春三月
。此鶴庭上に来り遊ぶ源氏長久の栄。万歳にてらさん為二
(三オ)
度是をはなつ。鎮守府の将軍八幡太郎義家とぞ印され
たる。頼朝大きに※悦喜有。元祖六孫王より五代の将ぐん。八幡
殿の御手に入二百八十余年をへて。頼朝が代に此仙鳥の出ること
来儀{らいぎ}の鳳凰これならん。右大将頼朝重て是をはなつと札
をそへ。鶴が岡にはなつべしと小山の判官に仰付られ。扨又飯
原左衛門が恩賞後日に※さた有べし。先汝が定紋幸びし
武田党{たけたたう}のまぎらはし。今日よりは舞鶴を家の紋にゆるす
なり。頼朝が悦びの子孫に羽がいをのしこんぶ。御かはらけをた
(三ウ)
ぶくと余るめぐみぞ有がたき。工藤祐経取合せ誠に御こん
しの御ほうび。披露の我ら迄面目と申上がたし
。それにつき朝比奈の三郎が定紋舞鶴。同じ様に候ては飯原が
手がら薄く成かに候へば。朝比奈が舞鶴きつと御とめ下さる
べしと憚なくぞ申ける。朝比奈の三郎義秀白書院にて此
噂。聞とひとしく御前共はゞからずつゝと出。太刀前さがりにねぢ
廻し祐経をはつたとねめ付。こりや工藤。朝比奈が舞
鶴はぎやつと生れしうぶぎより付きたる定紋きつと御
(四オ)
とめ下されとは。義秀が定紋がそれ程御分が苦に成か。飯原は
鶴でも孔雀{くじやく}でも付たい物を付ばつけ。此朝比奈が鶴の丸今
迄よりは猶でつかく。飯原が紋が一尺ならば朝比奈は八尺。飯原が
八尺ならば朝比奈が紋は五間四方に付ちらす。御前で断申置と
りくつ。詰にぞつめりくる。祐経も色をかへきたなし/\あさひ
な。御諚によつての紋改め君へはお恨申されず。いひよいとて祐
経を小立に取てかべぞせう。かほには似合ぬさもしい/\と。いはせも
はてず朝比奈ヤアさもしいとは御へんがこと。御詞をかつて飯原に
(四ウ)
ゐせいを付んとな。面ン々に御そせう申人の紋をかへるならば。御ぶんも
いほりにもつかう和田の紋とさし合也。上のいほりはともかくも
もつかうはかへさする。それとてもぜひ付たくは。似合ツた様に鎌倉中
の。ごもくざらへのもつかうがましさ。飯原とても其通り鶴の丸
は付させぬ。そふなくは朝比奈が見付次第に切さくと。ひぢをはつ
ていひのぼる飯原もさすが諸人の前。朝比奈殿が恐ろしとて
拝領の紋所。おじぎはゑこそいたすまじ切さかばさいて見られ
よと。すゝみ出れば祐経いやそれ迄もないと。飯原は※ほう
(五オ)
びに下されたる紋所。義秀の紋は何の手がらに付らるゝ。由緒あ
らば承らんサアきかん/\とせめかくれば。朝比奈から/\と笑ひ。ムヽ
めづらしいことを今聞た。手がらを紋に付るが侍のさほうか。三うらの
家には先祖よりの手がら数しれず。小紋に付てもまだあまる
。さつはりとあたらしうさいふ御ぶんが首取て祐経がゑぼしくび
定紋にして見せんと立あがり。伺公の人々すがり付しづまれ/\
と。御諚あれ共聞入ず頼朝もあぐませ給ひ。わだをめしてせいせ
させよ義盛/\と召れたる。親の名をよろこぶこゑにさへ。あつとしづ
(五ウ)
まる朝比奈が心きどくに殊勝なり。折ふし重忠出仕有リ御次
にて子細を聞。ゆう/\と御前に出。ぶこつに候義秀。わかき人の
定紋をかへられ。ほいなきも改ながらそれは小身平大名のこと
。誰あらんわたの子息。今日ツ本にかく申重忠を始。千葉北条
和田上総が子共なんどが。たとへ無紋のいしやうをちやくし無紋
の印を立たるとて。恐らく見しらぬ者や候べき。小身者と同紋付
其一門一類かと思はれんも。然るべからず。弓矢にほまれなき者
はか様のことを手がらとせねば。立身すべき便もなし。取持人も
(六オ)
其通御膝もとにはいくはいし。御寵愛{てうあい}を受ながらお役もなし
にあんかんと。手を明てすむべきかせめてか様のことを取持ずは。御
知行の手前と申人の用ひもなき様に。工藤殿は尤至極兎
角貴殿がおとなげなし。とつくとしあん有べしと朝比奈は身の
大けい。祐経がみみに針をさす重忠の一句の異見。一座めとめ
を見合せて詞をそゆる人もなし。君もしばらくは※ひはんなく
尤々よし印をかゆるちて。明年かりばの間也それ迄は月日も有
。其内には木にもあれ草にもあれ。吉左右をえらんで紋に付
(六ウ)
源氏の代を祝んこそ。元祖六孫王の尊意にもかなふべしと
。仰ゆたかに羽をのして。はなす宮ゐも千世の友。鶴が。岡にぞ
『舞遊ぶ。まふたる鶴は飯原左衛門と鎌倉中のことわざ
。衣裳印はいふに及ずくら鐙に至る迄。俄に紋を付かゆる
朝比奈もなを付やまず。二つ道具に舞鶴の鑓印さきに押
立。すぢかひ橋の見付にて。はなじろにはたと行あふたり。両
方かたよれ/\とさき供のかちの者。互に道をよけんとす朝比
奈駒をひかへ。ヤア一人もかたよるな。義秀が鶴の羽はくもを
(七オ)
つんざくのしば也。一もんにかけわつて通れ/\と乗出す。あしかりなん
と飯原の左衛門かまふな/\かた付と。右へよくれば右へより。左へよく
れば左へよりいぢわるくつけ廻り。供先打わるつちのこの鑓もち
やつこが糸びんも。はりのけつきのけわつてのる朝比奈が馬と
飯原が馬。すり違さまにこゑをかけあをりをはたと当ければ
。朝比奈がわにくりげ音に聞ゆるはね馬にて。飯原が馬のふと
ばらをさけてのけとけあぐれば。手綱をくつて乗しづめん乗廻
さんと。すれ共野取のかたな付馬ゐなゝきしてしりごみするを。朝比
(七ウ)
奈は馬上の達者一策くれてちやうどあをる。飯原がゆん手の切ツ付
を中よりふつゝとふみきられ。鐙はなれてまつさかさまに屏
風返しにどうどおつれば。馬は頻{しきり}にはねあがり一さんにはなれ
うせてげり。朝比奈ほとんど心よく。ホウ飯原殿は鶴がをかに
鶴をはなし。鶴の紋を付らるゝと聞しが。乗馬迄はなされし
お手がらやがら/\命から/゛\から馬の。はなれ馬の紋所侍のかす
げ馬。天晴御馬候とどつと笑ふて。手綱かいくりしづ/\とあた
りをはらつてうたせ行。工藤祐経退出のおりからはるかに見
(八オ)
付。乗がへ引せ是は/\飯原殿。某今少早くんば。朝比奈めい
けてはかへさじ物を。どこも痛は。いたさぬか。某が乗がへにて心
ざしのかたへ先おこしあれといへば。かほに付たる砂なではらひ。扨々
づなふふむやつ哉。ひざのさらをすりむいて候よ。ついては我らがお
や。飯原の兵衛がはか所はさがみ寺。石たうの印に幸びしを
ほり付しが。此度御紋拝領の悦びに。舞鶴を金紋に入レはか
のかこひも地をひろげゐがきをも申付んと。只今さがみ寺へ
参る折から此仕合。隣のはかは河津の三郎が石たう。是をとりの
(八ウ)
け地をひろげばそが兄弟によしみ有ル。朝比奈め又わめかんは
必定。此様にせびらかされては舞鶴は付られまい。さぎになり共
かへませふとあたまを。かいてかたりける。エヽそれこそかまはぬこと。よに
なし者のそが兄弟御かんきの河津がはか。ほりくづしても大じなし
。家来近江か八はた一人付て遣すべし。祐経が申付しとあらばとが
むる者はよも有まじ。アヽそれでいかにも慥なこと然らば頼奉
る。我らが気もつよくなり心は石かねいはら左衛門。去ながら馬に
乗ては朝比奈に。どこてあはんも気遣也。此まゝのかちはだし
(九オ)
わらぢ左衛門おいとまとわかれて。宿所に『立かへる。軒端
の草と。身を忍ぶそがの五郎時宗は。出家をいとふも親の為。たが
はじとするも親心しやばとめいどに父と母。わけておく野の
其むかし。十七年は夢ぞとも誰をかたらひしみ/゛\と。いつかは
あけん心のふたはこねの山を忍び出。父の廟所{べうしよ}のさがみ寺もんを
はるかに見入しが。嬉しや参詣の人もなし。此間に廟参と身
をひそめそつと入。口おしや諸大名のらんたう玉がき。こう/\たる其
中に河津のはかは野づらの石。文字もこけにうづもれて母
(九ウ)
の逆修{きやくしゆ}の朱の色も。露にくちてぞ残りける。時宗めもくれきも落
て。こしの樒{しきみ}を一枝の花松立そへてくみかゆる。水と涙に袖ぬらすあ
み笠座具にゑかうして。父尊霊の修羅道抜苦逆修{しゆらだうばつくぎやくしゆ}の母の
寿命。長久無事安穏とふしおがみ。懐中よりくだ物一包取出
し。ゐますがごとき親子の礼。是は箱根を出る時。別当の御坊
によそながら心のおいとま申せしが。其座に有しをちゝ母と心
ざし。懐中致し候五郎が百味と受給へと。父聖霊には栗と
柿。母の逆修に奉る此橘のはじまりは。垂仁{すいにん}天皇の御后に
(十オ)
蓬莱{ほうらい}国より参らせて永きよはひをたもち給ふ。めで度
このみに母上もあやかり給ひて御寿命は。千代万歳と祝ヒ
てもにくみを受し涙の袖。むかしにも似ぬ花橘。もろこし人
の孝行も思ひやられて不便なり。かくとはしらず祐成は母上の
御供して。二の宮諸共はか参り時宗をちらと見て。母のお出を
しらせんと。介成お先へ参つて。御はかのそうぢ致さんと高々といふ
こゑに。はつとおどろきかほかくし。親にも永離{ようり}三悪道そとば
のかげにぞかくれける。うしろ姿を母上はそれぞと見るもしら
(十ウ)
ぬ※。なふ二の宮介成是見給へ。花も水も新しくくだ物迄そなへし
は。河津殿の御はかへ参るべき人覚えなし。鬼王は箱根へ参らせ団三郎
は留守さする。わごぜ達は今参る。ぜんじ坊が遠国より。花を手
向ん様もなし此三人の兄弟ならで。子と言て覚えもなき逆修に
迄そなへ物。何者のしわざぞやいきたる母が受ぬ物。何しに父様
の受給はんはかをけがすか勿体なやと。樒も松もかなぐりすて。持
せし花に立かゆる一枝の梅に鶯の。子で子にならぬ時鳥なくね
にちをはくあはれさに。時宗もやるかたなさ。なふ三人の外子はなし
(十一オ)
とは。余りつれなき御詞たね腹ひとつの御子は五郎め共に四人也
いかににくしみ深しとて子の数にさへ入給はず。心ざしの手向迄かな
ぐり捨させ給ふこと。五郎は七世のかたきかやよし何共思召せ。父と
申は河津殿母とては御前ならで。外に父母あらばこそ。なふ姉君
祐成殿。弟は不便に候はぬか申直してたび給へと。はかの前にまろ
び出こゑを。あげてぞ泣ゐたる。二の宮は涙にくれ其うらみこそ
うらみなれ。数もなき兄弟のことにわらはゝ女也。母上のお力は十郎
殿計也。何しにそりやく有べきぞ御心にしたがひ。※きげんをなだむ
(十一ウ)
るはそこの心に有ことゝ。くどき給へば介成。見るめもかはゆく候へば。な
がふとは申まじ。今日一日姉と我らに御免有。御詞をかけられば
御じひと申父尊霊の。供養共成申さんと恐れ。入て申さるゝ
。それ/\わごぜ迄が其詞じひ余つての腹立ぞや。母が一日詞を
かけて父尊霊の供養の成か。出家して永劫のくげんをすくふ
が功徳に成か。やい五郎め。いふまじとは思へ共しやうねあらば聞も
をけ。廾四孝の陸績{りくせき}が橘を袖に入。氷にふして魚をゑしも
。それ計を孝行とて異国本朝ほめはせぬ。常々親の心に一事
(十二オ)
たがふこともなく。孝行つもりし其中の一つを上てしるせしそ。それ
さへ今生一たんとて一子出家には及ばぬぞや。尤親の敵を討。男
になつて名が上たいはをのれより此母が。一筋を千筋となで。そ
だてたる黒髪を何しに。出家にしたからん。むかしの伊藤河津
ならば。馬くらひたゝれきらえをやり供人百騎二百騎つれ。くはん東
武士のれき/\にも下馬をさせたる家筋の。かまくら殿には御にく
しみ所領にははなさるゝ。此はかの有さまがめにかゝらぬか。はか守
のほどこしも人にをとればをのづから。苔にうづもれちりつもり。一
(十二ウ)
句{く}一偈{げ}のお経のこゑいつ聞せしこともなし。介成は惣領役せひなしと
言もせん。をのれ迄が男に成もしも敵を討そんじ。其跡に父母がはか
もしるしも掘こぼたれ。かばねを牛馬にふみさがされ。此世の恥
みらいの迷ひ助んと思ふ誠はなく。母にそむいて出家を嫌ひ其
ざまになつて見せ。何が嬉しかるべきたとへば母が先たちて。父御は跡
にながらへ母の為に出家せよと。父の仰有ならば。よもや/\そむく
まひ母が詞をかろしむな。女とてあなどるな。母も土井の氏なれ
ばものゝふの道はしつたるそ。弓馬の家に生れて。出家にならぬ
(十三オ)
物ならば熊谷の蓮生。文覚法師はこしぬけか。此二人の法師がをの
れが武勇にをとらふか。はかの前で言からは二親ひとひとつの詞と
きけ。俗体にての対面はか参りも欠はせぬ。そこ立て帰れと涙
をふくむ。道理の教訓。五郎はつと胸にしみ。ハア御詞至極仕り心
魂{しんこん}にこたへ一念ほつき致したり。今でも髪をそり申さん。ムヽウ余リ
急成はや合点しかとそふか。箱根権現も照覧あれ何偽リ
を申へき。男を捨たる其せうこと太刀かたななげ出せば。なふかは
ひの者やよふいふた兄も姉もあれをきけ。出家にならんと言はいの
(十三ウ)
をさなき時からあの気立。情{じやう}がこはい様なれどがてんさすれば
聞わけ有。其気をしつて無理やりに。をし付言しは母の科出
かいた/\。それでこそ我子なれ河津殿の御子なれ。介成にも二の
宮にもをとのぜんじ十人にも。此子ひとりにはかへぬぞと膝に引よ
せなでさすり。嬉し涙の悦び泣二の宮も介成も。あふぎをもつて
あをぎ立嬉泣こそ道理なれ。かゝる所に鬼王箱根より立
帰り。古殿の御年忌御取越の由申て候へば。則別当の御坊御
はか参り候と。言もあへぬに供人あまたあじろの長柄かき入る。飛
(十四オ)
立計に母上は五郎が手を引よき折からの御出仏えんの有がたさ。此
子が教訓聞入出家の得心いたせし故。わらはもゆるし申せし上
はお師匠の勘当御免有。へんしも早く御剃刀{かみそり}と願ひ給へば別
当も。悦びこしを飛て出。扨々珍重河津殿は成仏。師匠の面
目そが一家の人々は。如意宝珠を得給へり幸に十九歳。如来初
発心にならつてヲヽ後共言ず。廟前にて得道いそがんそれ/\と
。寺中へあん内座をかまへこしの内より。けさ衣一具取出し。是は
箱王が出家の用意にこしらへしが。山を逃て出し故はかの前
(十四ウ)
にてやきすてんとて持せしにふしぎにもがてんして。尽せぬ法の花
衣ひたゝれの上に打かくる。あげはのてふのもなごりとや心も。ぬるむ
法の水。かみをしもんで。がつしようし。棄恩入無意真実報恩者{きをんにうむいしんじつほうをんしや}皆
同音の受戒{じゆかい}の文殊勝にもなを哀也。ひたひ髪の一ふさを三宝
供養とそりおとし。一ふさは十方の仏陀にさゝけ。一ふさは七世の父
母七ほうの瓔珞{やうらく}と。へんじて親を荘厳{しやうごん}のみどりの『前髪落に
けり。母上はつく/゛\見て御剃刀しばらく待てたへ。あの介成は母に
似る。五郎は父のおもざしに似ると計思ひしが今前がみをそつ
(十五オ)
たるかほまゆのかゝりひたひ付。まじりあがつてはな筋立びんさき
のはつたる迄。其儘の河津殿うしろ髪をそらぬさき。河津殿
を見ておけ五郎とは思はれぬ。父御はあれよと泣給へば。介成も二の
宮もをさなき時のおろ覚え。扨は父御は是成かと。膝{ひざ}引まはし
をし廻し見上見おろすめに涙。五郎も扨は我らがつら父上に
似たるとや。一め見んと鏡台引よせ。ゑりつくろひ乱れしびんを
なでつくれば。父が形見をます鏡しばし。見入てゐたりけり。別
当せいして。ヤア子のかほの親に似るが何のふしぎ。法師になつて親
(十五ウ)
よりも仏に似るこそめでたけれ。得度のさまたげそこのかれ
よと。剃刀あてんとし給ふ所をひつはづいて飛しさり。太刀追取
てわきばさみ。やら/\勿体なの出家や。親によふ似た大じの御※
びん一筋も落さぬ。受たる戒も返弁申とけさ衣取て捨。あた
まをおさへて立たりけり。母は驚はや心が替つたか。ぢごくの
たねのごくそつめと。しかり給へど聞入ず介成いかつて。母への不孝
別当の恐れ。箱根権現のせい文はいかゞするぞと有ければ
。五郎けら/\と大わらひ。仏にそむいて出家さへせぬ物が神のばちを
(十六オ)
いとはふか。さ程せい文恐ろしくば。母親のかほに似た御身出家に
成給へ。うつみくずみ河津三がの庄のはた頭。八ヶ国のよいおとこと
名によばれたる河津殿。其御器量を残されし五郎あたゝかに
出家とや。思へばあつたら弓取を。介経めがだまし矢にうしなひ
しは。エヽはら立や無念やな。此似た※で敵を討ば。父に手づから
介経を討せたも同前。ぜひなれならば介経討て後の談合。あ
すのこといへば鬼が笑ふ。それも今から請合れぬ。五郎ひとりをむ
ごらしい出家になれ法師になれ。どうよくな母様と。ないついかつゝ
(十六ウ)
いぢばつてそらせん気色はなかりけり。別当こゑをあらゝげ
。そりかけたる剃刀をいたづらにすつべきか。あれ同宿共ひつと
らへそりこぼせ。承るとよる所を坊主あたまをはりまはし。ふみ
たをしけちらかし。堂の内へかけ入て内よりかうしをはたとさす
。母は胸もふさがりて父上の御年忌も。ぜんごんも無になすか二
度の思ひ二どのはぢ。七生は扨置五百生の勘当ぞ。アヽむね
いたやとくるしみ給ふを。介成二の宮鬼王だきかゝゑ手をひけば
。別当も力なく皆々『わかれかへらるゝ。五郎門にはしり出。いかに
(十七オ)
出家いたさぬとていか程のとがになれば。五百生の勘当受。五郎
はいづくに立べきぞ先かへつて下され。どふぞ談合しませふと。敷
石に身をなげふしこゑも。おしまずなげきしはめもあて。られ
ぬ次第なり。かゝる折から舞鶴の鑓印付たる大名。是ぞ
朝比奈頼んでみんと頼もしく。鎮守のかげにかくるゝ所に
。飯原左衛門経景近江の小藤太あん内もなく寺内に
入。是々此石塔は此方隣は河津のはか。らい地せまつてきの毒
といへば。何ごとか候べきに小藤太に御任せ。大名方のおはかのそ
(十七ウ)
ば。見ぐるしき素牢人{すろうにん}のふるつか。手この者共是はねおこして
捨よといへば。手々に手こを引さげばら/\と立かゝる。五郎ひたゝ
れ取てすて高もゝだちに大わらは。雑人をつきのけ/\はかの
前につゝ立。御じぶんは工藤殿の御内近江小藤太。飯原左衛門親
のはからい地せばしとて。河津がはかを掘すてんとの御さはいか
。とびの衆手この衆アヽ御ぞうさお物入。さ程広みに置たくは。大
ぜい迄のなく此男一人して。むさしのゝまん中にひつすへ。其跡へ小
藤太殿生ながら土さうにする。やあゑいとふんばつて。七尺余り
(十八オ)
の青めの石かろ/゛\と引さげ。かたへ上てひんよゑい。天まのわざかと
すさまじし。飯原小藤太したを巻御はつとのあばれ者。たゝきふ
せからめとれ熊手よ棒よとひしめいたり。五郎びつく共せずヲヽ
。我こそ此はかの忰。そがの五郎時宗と言あばれ者。受てみよと
なげつくればさきにすゝみし手この者。石にうたれて十四人みぢん
に成てぞうせにける。五郎と聞より両人は一言もなく逃出す。どつ
こいやらぬとぼつつめ小藤太が。かんづかつかんで取て引ふせ。手この
まものにしばりあげをのれがさび矢を参らせし。河津殿の手
(十八ウ)
向草とはかの前に引なをし。討てすてゝは介経が用心するさ
またげと。たちひんぬいてみゝはなそぎ。楊枝を筆に血をしめ
し。近江の小藤太一疋そがの五郎時宗是をはなつ。建久三年三
月吉日はなをそがれてはなち鳥と。袖にかき付をつはらふ五郎
が。しわざぞこゝちよきあつはれ。河津がかたわれ月のかげを
ならべて元服男。かつら男当世男。手柄男と名を取も親の
。譲りに器量也
中の巻
大磯や情よせくる花の波。田子を手の物冨士を庭。自然
(十九オ)
と人の気も高く。大名も手を沖の石ぬきてしづまぬ人もなし
。かい道の遊女町よその夜なかは恋の昼。よその松明此さと
の。あんどうのかげとゞろかす。車ばんやをゑいやらや。ゑいやら/\ゑい
やつと。一夜をねずに夜あかしのちんもわづかに百介が。ばん屋ののき
の忍ぶ草手くだの客のかくれざと。かくし文よむ女郎や。まぶの
やりくり中立すれば思はぬ露もうつ太ことん。/\/\どんでうき
世はわたられぬ。ながれのさとも火の用心。ごようざ/\。火の用
心も三味線の。てうしにあひしぞめきの歌取まぜにぎはふ
(十九ウ)
夕べなり。ことにけふは飯原左衛門経景。紋ひろめの祝義振
舞。工藤介経をまらうとざね。相客は泥近{ぢつきん}のはた本卅余人。邯
鄲屋の長が四季やしき。ひとつにはり出す大よせに。名取の
松梅廾五人に。十八公はいぜんは。かこひの女郎五十人づゝ。一ト時のかは
り行つもどりの其中に。水ぎは立てきせがわの。亀菊が八文
字も下に見おろすけはい坂。少将がゆりかけ道中。番屋
の前まて行ちがふ。是申今ン日は邯鄲屋の大じのまれ人大よせ
とて。けさより度々召るゝ故。只今参り候が少将様はなぜお帰リ
(二十オ)
。但お客はもふお立かと言ければ。されば此身も今迄つとめ。面白
からぬけいはく酒にきがつきはて。禿をかはりの人見ごく漸と
はずした。ざしきの首尾を頼むぞゑ。百介御めんこゝかつた邯鄲
屋の枕より。此膝枕少将が栄花也とぞよりかゝる。是々大夫様
。是はいかひとけ様じや。其様になされては。お前とわけも有様に人が
見れば迷惑。あれ。/\。亀菊様の見ぬかほしていなれたが。定て
わる気が廻らふ。町衆に見られては。あすからのどが火の用
心。太こうたねばしからるゝサア御のき/\。とすりのけ共アヽ
(二十ウ)
よいはいの。火の用心もよんでやろ。太こもなんの打かによぞいの
。ハアせんしよくさい。太こうたふにも打ばちが有まい。ムヽある/\
是。これでどん/\打ことを。おなごじやてゝうたいじや。いや/\くる
わの太こにはいかふ習がござりますよ先初夜の太こを打時は
。諸客さかんとひゞく也。後夜の太こを打時は。せんしやうめつはう
とそやして。あかつきがたの酔ざめの。分別々に御しあんも
じやくめついらずと打立。けだいもなしのかねつかひ百八。もん目の
ねふりざまし。大じのひでんの太この手サア。おのきなされといひ
(二十一オ)
ければそれ/\。それ程此さとすいながら。少将にいね/\とは。この
少将はわるいくせ此様な身にかまはず。むくなを見ればほれて
きて。身のすてるきにはや成は。我身ながらゐなやつじや。こ
よひはばん屋にねてゐぬる。ねせてたもやと有ければ。ウウハヽヽ
。はあゝうそはづかしい太夫様。なんのわしらにうそ計。ね道具
はなしひとりさへせばい物。かさなつてねたらば番屋の下は
車也。町うちをぐはら/\と上へなり下へ成。めぐり車の少将様しぢ
の数々百介がせいもきこんもつゞくまい。サア/\いんでもらひま
(二十一ウ)
しよと。番屋の戸引たていらんとする所を。ともに少将
つゞいて入内より戸口ちやうどさす。あれ/\。なんとなさるゝ男の
ね屋へふんごんで。近比らうぜき。あれ。あこそば。是々。がてんもさせ
ずにむさとおびをとくまいぞ。此百介には女房が有。をなご
まおとこ出あへ/\とよばゝれば。ムヽなんじや女房がある。して
其又女房は太こにはつて候。あんまりうつとてうちやぶつて
候。是夜番のばちは手あらひぞ。かはうすな太こ打やぶられ。百
介おうらみなさるゝなと。大あせになつてやう/\と。番屋を逃
(二十二オ)
て出ければ。少将は打笑ひ。去とてはかたい人。有様恋とは偽り
。かたりあひたきこと有故。ちなみの為のそらごと。少将がいま
とふことを。夢程もかくすまひ。尤人にもいふまひと。せい
文が聞たい。それがいやならまたほれるどふぞ/\。アヽ申々。仏
神三宝番屋みやうり。何ごともかくさず勿論他言致す
まい。お尋なされと言ければ少将は小ごゑに成。御身はそがの
五郎さまの郎等団三殿よの。みづからは五郎様と。此春よりなれ
参らせ。みらいをかけし中なれば。とくにそふはしつたれ共。お忍
(二十二ウ)
なればしらぬかほと。かたりもあへぬに団三郎。扨は五郎殿は
此里通ひ御身と深きなじみとや。主人ながらもうらめしや。母
御の勘当受給へば。御兄弟めぐみもうすく。一門衆共中絶に
て。ひたゝれのほころび一つ。あたひをやりて誂ゆる。まして朝夕
太刀かたなのつか糸も。見ぐるしきめはさせまじと。此さとへ身
をはまり。寒夜には身をすくめ。なつの夜は蚊のゑじき捨
身{じやしん}の行でたつた百づゝ。宝の山といたゞきて。町衆にはひつく
ばい。女郎衆になぶられて。主をはごくむ下人の心。無足になして
(二十三オ)
大夫狂ひエヽ。曲もない時宗殿。団三郎がいき筋はり。五十よさ
太こ打て。たつた一夜のあげ銭。扨高直な少将殿かほを見るも
うらめし。いまめしげもないお主やと真実見へたる。うらみなき
。ヲヽ道理/\去ながら。時宗様と我中はゑよう上気のさたでは
なし。しつてかしらぬ十郎様と。虎御前とはいもせの中。此虎御
前を頼み十郎様へ申こみ。御勘当のわびことの。しるべの為とて逢
そめて。深ふなりしは恋ぢのならひ。かふてあふてのあげてのとは
。いつかな/\くつわにせがれ。やり手にもかくれ忍ぶ。其上に団
(二十三ウ)
三郎にくらうをさせ。見付られてはかなしいと。さす手引
手のお心づかひ。一しほいとしさましくると始終を。聞て
。団ン三郎。ムヽ扨はあげ銭は入ませぬか。したりハアけつかうな
お振舞。申さやうのことなら団三郎も。本ぜん迄は及びなし
。北向の五分ぜんでも相伴したしと笑ひけり。なふそれに付けふ
邯鄲屋の大よせの上客は。工藤介経酒をもつてもりふせしが。あの
酔のさめぬ中と。あたりを見廻しさゝやけば。団三郎につこと笑ひ
。是ぞうどんげふしぎの時節。廻れば三里曽我中村。山道なれど
(二十四オ)
すぐにうてば十八丁。一さんにかけつけて。只今よんで参らんとすそ
。ひつからげかけ出しが。やあばん屋を明て町衆に。とがめられては一大じ
。アヽいかゞせんなんとせふぞ。どふ少将がほうかぶり。其うはばりをうち
かけて。時々に火の用心。太こうつて廻らば跡はくろめる。くらがり
に誰が見ても百介。出来た/\御しあんと。うはばりふいでき
せるをこしにさすが。似合ぬ遊君の。小づまほら/\道中にて
。かれうひんがの火の用心。町をはまつてどん/\/\。辻に立て
はどゞどん/\打や太この団三郎はそがをさ。し。てぞ『はしりける
(二十四ウ)
紋尽し
すでにふけ行。つり鐘やちやうちんの数々。邯
鄲屋へ通るお迎だ。門を早くあけろ。番太めはおらぬか
。ばん太/\と。くはんくはつごゑにびつくりして。アヽこは。明ケるはいな
またんせな。ヤアがいになまぬるつこいばん太めと。やつこがくゝ
る大門の。釘貫松かは木村ごう。三うらの平六兵衛が迎也
と。いかつにふみこむ。やつこがすねけつまづくな。石だゝみはねん
ゐの大夫いほりの内に二ツ頭の挑灯は。竹の下の孫八左衛門と
(二十五オ)
ふみ。はたかりしふじの初雪二合半。おもてに見へてしやく子づら
。いたがひは岩永たう。からかさはなごやの挑灯小玉たうの迎の
者。団の紋にそよ/\と。こんのだいなし吹かへしひとへ。物にも風たま
るあみの手はすがひたう。車は佐藤の御迎是龍王のばつ
そんと。挑灯のもちてる月に。糸びんやつこがわかしらが三本。がら
かさ雪おれ竹。ふり出す手つききつ/\き。亀甲わちがひ花
うつぼ。竹笠は高橋たう。揃てあゆむ供人の。足に三里のさしも
草二つへいじ三つへいじ。大すながしは安田の三郎。夜嵐さつとらう
(二十五ウ)
そくのゆゑんうづまく右どもゑ左巴は小山の判官いせの宮
。かたかぶら矢にあづさ弓。取ものゝふも恋にひかれて。つなぎ馬は
相馬の挑灯。矢はづの紋はかぢ原の。挑灯もちが。作りひげはな
の下の。黒一文字。白一文字打ゑぼし。立ゑぼし大一。大万大吉山ノ内
の一たう。けふのてい主は此紋の。ひろめの為振舞鶴やいばら左衛門
。れつをはなれていほりにもつかう工藤。介経迎の挑灯。上客也とひ
ぢをはりいせいをふつてふり出す。下々迄も御馳走のはんきの。請
銀いそじぢの栄花一夜の。酒の夢もよきかんたん屋にこそ『入にけれ
(二十六オ)
少将跡を見送つて。エヽ腹立や主のゐせいをかうにきて。下々迄あ
たまがち。にくや/\そが殿原の無念がりは。お道理/\こよひの首尾に
討せたい。迎ひの者はそろふたり。今にも帰らば何とせん。五郎様はなぜを
ぞい。一夜もかゝさずくる人が。こよひ見へぬはうんのうすひお人やと。大門
口迄百度千度。こゑを上てよんでも見たく。足も心も落付ず
せきに。せいたる折からに。すは邯鄲屋にけんくは有と。やり手禿も逃
廻り三筋の。町人立さはぎ年寄行事色ちがひ此百介はねてお
るかと。ばん屋をわれよとたゝくにぞ。少将は胸をどり。アイナア百介
(二十六ウ)
こゝにでござんすと。辻をへだてゝふるひごゑヤをのれは何を役に賃
をとる。此さうどうはみゝへ入ぬか。門もしめ太こも打。火の廻りを大じ
によべと。しかりちらしてかけ廻ればあい/\。火の廻り。じやわいナアよう
じんよふして下んせと。よばるもほそき太このばちうちかた。ふきて
ぞ立ゐたる。とかふする間に団三郎。大いきついで立かへれば。なふ
嬉しやとほうかぶり。うはばりぬぎすて是邯鄲屋に喧嘩が
できてくるわかもめる。五郎様ンはどふぞいの。されば/\いづかたへ出られ
たやら。行さきもしれずいつも又。とこに候鎧もなし。わだ殿か
(二十七オ)
北条殿への見廻ならば。具足をきられん様もなし。がてんいかずと言所へ
。足もはだしに虎御前。なふ少将様はこゝにかと。はしりよつてためいき
つき。扨あやうさよ気遣さよ。喧嘩の相手を御存じなきか。朝比奈
の三郎殿飯原殿の紋に付。介経にいこん有。討てすてんとうらの町
よりしのび入。ざしきのえんにおはせしを。みづからが見付出し。あの祐
経はそが殿原の大じの敵。人に討せて御兄弟。ほいなきを推量
あれと。さま/゛\なだめ漸と。朝比奈殿をしづめしに。いつの間にかは五
郎様ン。下には鎧とやらはら巻とやらして。是もうらより忍びこみ
(二十七ウ)
介経めがけ飛いらんすを。朝比奈殿をしとゞめ。兄弟一所の親の
敵。弟が討て兄十郎が。残りおほさはいかならんと。とめさんしても聞
入なく。母の勘当受たれば。兄弟一所は不定也。此場をいかでのがさんと
。かけ出さんすと思はんせ。朝比奈殿はぜひ一人には討せまじいや。討んうた
せじの。詞がらかひ言のぼり是見さんせと。打かけの下よりも。鎧の草
ずり取出し。是は五郎様ンの具足のすそ。草摺とやら言物。しるもしらぬ
も大力と。音に聞へし朝比奈殿。もろ手につかんでゑいやつと引にゆる
がぬ五郎様ン。びく共せずすつくと立。ことおかしげににこ/\と。ゑがほのつ
(二十八オ)
よさうつくしさ。石と成たる楠に桜。さかせしごとく也朝比奈殿は浅
黒き。鉄{くろがね}のくさりにて。大象を引いきほひゑいや。/\の力ごゑ腰
がきれるかかひながぬけるかそばて見るめもきや/\と。かのかげ
清とみをのやの。しころは磯よあら磯に。つなぎし舟のとも綱を。切
てはなすもかくやらんおどし。ぎはより此草摺。ふつゝときれて両方
へ。さそくをふんで立給ふひゞきに。戸障子打破れ。らうぜきよあま
すなとざしきもさはぎくるわ中上を下へとかへせしが。五郎様朝比奈殿
。二王のごとく立給へば。亭主方も客衆も。誰とがむる人もなく。大
(二十八ウ)
藤内と言太こ。かる口いひてわらはせて。座興になしてことをさ
まり。もはや気遣なけれ共。胸のをどりはまだやまずと。語れ
ば少将団三郎。扨々あやういことかなと聞おぢ。するも断り也。団
三郎しあんして。介経がたは大ぜい也。手組をして万一のけが有てはくち
おしゝ。客をいなすにしくはなし。是百介の一徳と。二ばん太こを。どん
/\/\/\。三ばん太こに夜をこめて。仕廻の拍子に逢坂の。鳥の
そらねか太このそらね。お客様御立と。こゑ/゛\よびつぐ其内に。時宗
は草摺切たる大鎧。古仏の四天を見るがごとく。をどり出れば朝
(二十九オ)
比奈も。同じくつゞいてかけ出る。二人の遊君団三郎是申朝比奈様
。五郎殿は短気にて人の異見を用ひられず。お前は実体物
しづか成お生れ付。御異見なされ下されと。たしなまされてまつ
かせと。一代になき分別がほ。アゝ五郎殿短気にござるよ。此朝比
奈も腹の立ことはたび/\なれ共。貴殿の様に気みじかふなき故に。終
に義秀が短気を出せしこと。アゝ慮外ながら御聞なされまい。ち
とおたしなみなされ。虫がはやいぞ。とつくりとおとし付てしあん
あれ。第一に兄十郎をおしのけての我儘。二つには所と言折わるし
(二十九ウ)
三つには母様の御勘当の身。しおほせて本望ならず。なんと団
三女性達。身が御異見がわるいかと。一代にない分別は。ふしぎ千
万朝比奈の。朝日も西から出ぬべし。人々も力を得よき折からに御
出合。御異見の段忝しと。一礼すれば。ハテ。礼に及ばぬ是も兄
弟衆大せつに存ずる故。そが殿原に友なひもおほからふが。ケ
様の異見する者は。ちゝぶ殿か此朝比奈と。あふぎ遣ひの自満
がほ。一世一度の分別袋跡の。ふくろびきづかはし。五郎も母のかん
当と。言にしほれて聞入しが。いかにしても介経が。のさばりづらを
(三十オ)
見るならば。又もや心かはつて御異見も無にならん。何とぞつらを見ぬ様の
。御分別は有まいか。まだおいやる。分別の入ことならば。朝比奈に仰付ら
れ。ゑ。さあ出たぞ/\。日本一の此番屋。なんと/\。できた箱入の御分
別と。打うなづきて諸共に。きのみじか夜やふけ渡り。大名小名枕
酔{ゐんすい}に。足もよろ/\かへらるゝ。たつた今時宗に。異見をしたる朝比奈
町一はいに立はたかり。エヽじゆくしくさいことかな。是程にくらはいではと
。くつしやみしかけつかほなでつ。なぶられても手なみはしる。とがむ
る人もなき所に。勿体らしく介経は。大藤内に手をひかれ。ヤ朝
(三十ウ)
比奈殿。御酒ももらず残念千万。幸是に虎少将。めづらしうばん屋
酒。大藤内それ申付。心へたんほ生国は。備前どつくり。酒のかん主仕らんと
。立あがるをふみたをし。置をろふ。かすねぎめ飛しらさぬか。ヤイ祐経
。のめならばのもふが。義秀が酒のむとずばぬきするが合点かと
。大だちぬつとぬき出せば。アヽ/\。もはやこんもあひました。然らば是で
つもりますと言捨にげて帰りけり。はるかの跡のよりてい主の挑灯
。舞鶴は飯原左衛門朝比奈きつと見。時宗に異見はしたれ共
。是はどふもこたへられず。挑灯ふみさきすてんずと。飛出るを二人の遊君
(三十一オ)
団三郎。せいしてもとまらばこそ。時宗頓てとんで出。アヽ朝比奈殿短
気にござるよ。おたしなみなされ虫が早い。とつくとおとし付て
しあんあれ。第一に上への慮外。二つには折わるし。三つには我々敵討
。後日の為も然るべからず。九十三ぎの御一門も多からふが。ケ様に御異
見申はちゝぶ殿か此時宗とあら者どふしのあふむがへし。異見も
殊勝聞ぬも道理。飛出るをおしとゞめ。かけ出るを引とゞめ。なんなく
ばん屋にをしこんで。戸口をはたと錠おろせば。明よ/\明すんば。ふんで
/\ふみくだきみぢんに。なさんとたゝきける。鎌倉殿の御諚さへ。受付
(三十一ウ)
ぬあの男。外へ出してはくるわのさはぎ。此まゝにて時宗が。三うらへ送り
やるぞやい。ゑいとをし出す車の音。内より明よとたゝくをと太こ
も。ひゞくき大磯や磯打。波の『ごとく也建久四年の。夏衣。着
がへなきひたゝれもふじの御かりの近付ば。介成が身のはえのはれまのを待
て五月雨や。母の手づからはり物にしん子の愛こそ哀なれ。虎
御前はうき勤すきまもとめて。かごつらせ。持せしやり手の杉折
や。禿が袖に提重のさゝゑしつらひさゝわくる。そか殿のはこなたか
頼みませんとぞ言せける。母はどれいとかいま見に。のぞけばいろ
(三十二オ)
よき女郎。ハアはれがましや誰ならん折わるうふ鬼王は。弓弦かひに
鎌倉へ独の下女は二の宮へ。とやせんかたもなら柴のかきをへだてゝ
どなたにて候ぞ。十郎は他行老母は寺参り。いづれも留守にて
候へば。仰置るゝことあらば承らんと有ければ。いやくるしからず大磯の
虎とて。十郎様の御存じの女。お袋様へも折を得て御げざん成度キ
願ひなれば。お帰り迄待参らせんとたゝずむを見て母上も。扨は
我子に情をかくるとら御前。あふて一礼言たしとはおぼせと共遊君
はくがい人。まづしき体は十郎が外聞もはづかしと。ひたひのわた取
(三十二ウ)
もみ手をして。ハア聞及ぶとら様かや。母御様も常々おなつかしとの
御ことのみ。わらはゝ十郎様一万君のむかしより。お乳を進ぜしう
ばにて候。何のお心をきもなし。サア先是へともてなし給へば。かぶろ
やり手は遠慮なく是うば殿。とら様のおもたせと詞をさげ重出
すにも。あたりをきよろ/\見廻して。夏冬なしに涼しそふなさん
すはいなすみかと。さゝやきあふをほの聞にも母はかなしさはづかしさ
けふは折しも十郎様ちゝぶ様へ御出とて。侍衆小姓衆馬取中間残
らずお供。お袋様は寺参り直{すぐ}にわだ殿へ御見廻。対の六尺はさ
(三十三オ)
み箱腰本衆中居はした。ひとりも残らずお供にてわらは計が
おるすゐの。御馳走申さん様もなし是こなた衆。茶がまのしたもやし
てや。アヽけふたふてめがいたいと煙にまぎらす袖の下。もるゝ涙も
祐成の身のひんつゝむいたはしや。虎は何の心も付ず。扨はそもじはお
うばかや。祐成様の里通ひとらと言けいせいが。そゝなかしてのだまし
てのとさぞ母御様御にくしみ。定ておうばもみづからを恨てがなと
有ければ。アヽなふ勿体ない。うぶやの内よりだきそだてし。やしなひ者を
いとしがる虎様。引手あまたのうき身の中命にかへてのお情故。大磯の
(三十三ウ)
はれ所大名まじりに祐成様。おめもせずひけもせずと聞たびごとに
此お礼。御えんもがなと存ぜしぞやゆふべも知ぬ老の身の。此うばがなき
跡迄。祐成様を頼み入。おつとの身を立ゐをますも一つは妻のもてなしから
。ばんじに心をそへてたべうばがしらがをたゝみに付る。心を忘れ給はるなと仏
神拝するごとくにて。誠をつくす物語しばらく『時こそうつりけれ。十
郎は御狩の前馬ふとらせてのらばやと。わけ入のへの草迄もやせたる
。薄{すすき}やせ馬に。かりこふかひも夏の露ぬれて。おもたき草かごや。に
ないて。帰る我庵に。人ごゑは誰ならんとしばし見入て立たる姿。母うへ
(三十四オ)
御らんじときかけしひたゝれの。かみを袂に走り出なふ祐成。はれがまし
き客人有アヽ折わるきはかまのせんだく。此かみ計ひつかけびんなで付て
出給へ。早ふ/\との給へば。はれの客とはちゝぶ殿か。北条殿か。但三浦の人々
にてばし候か。ハテ誰で有ふ共先はや/\と。ひたゝれのえり取て打きせ
。鬼王は鎌倉へ弓の弦かひにやり。下主の女は二の宮へ茶給仕とて
もあらざれば。母が当座のきてんにて。十郎殿をもり立しめのとゝ偽リ
置しぞや。もたせのさゝゑも有なれば母が酌にてひらくべし。必おこと
も忘れても母上などゝ言まいぞ。うはよどふせいこふせいと遠慮なし
(三十四ウ)
にいひ給へ。客人と言は外ならず母が大じの花嫁。大磯の虎御前と。きく
より祐成はつとおどろき飛しさり赤面詞もなかりしが。祐成がうん
つたなく責て一日半日も。御心を休め御恩を報ずることもなく。御身
をくるしめ奉り是さへなんばう口おしきに。そだちいやしきながれの
女に御ン手をつかせ。かりにも祐成がうばよおちよと詞をさげ。御給仕
を受んこと天のとがめ地神のたゝり。冥加の末も恐れ有。まつ平
御めん下されとかうべを。さげて泣きければ。いや/\親にさからふ慮外
こそ。罰もとがめも有べけれ是はかへつて孝行。虎とはいもせのなか
(三十五オ)
なれ共遊君達ははれがまし。虎とやら鑓手とやらかごの者も見る
ぞかし。河津のちやく子そがの十郎祐成が。下人一人持ずして宿通
のおかしさよと。うしろゆびさゝれんは御身計か母が恥。憚りも
慮外も親子の中は内證。武士はせけんが大じぞや。けふ一日は母で
なし十郎殿のめのとのうば。下女あしらひに召つかひ不調法なこ
とあらば。しらがあたまを用捨なくこぶしを上て打たゝき。必母とさと
られず首尾を合すが孝行ぞや。呉々{くれ/゛\}も頼むと言捨庵にたち
帰り。殿のお帰リ。十郎様の御帰リ。しゐ。/\とうやまひの。こゑを聞にも
(三十五ウ)
祐成は勿体なくも悲しさの。涙を胸にこめながら母の仰をそむ
かじと。のし/\として入給ふ。母は床机{しやうぎ}を参らせて常有かほにもてな
せば。心中に三度いたゞき腰打かけ。我身ながら恥かしく大名らし
きこは作り。ヤア珍しい虎御前。やり手の杉か禿の清見よふきた
なあ。此比は打つゞきあなたの饗応{きやうおう}こなたの振舞。大名の参会
に一円隙なく音づれもおこたつた。そも朔日よりはじめて鶴が
岡の月参。二日より六日迄佐々木五人の兄弟が。五日つゞけて大
振舞。其明る日は礼に出。八日は千葉殿うけ振廻。九日十日十一
(三十六オ)
日がぢ原が振舞とて。三日と言物待ちぼうけ例のうそにて済し
たり。其明の日より二夜三日蓮生法師の念仏講。安達右馬の尉
がむこ取。実平には嫁取宇都ノ宮が碁の会。足利がまりの会。お
とゝひはふつと客を得て俄に茶のゆの料理のと。手づから魚の
鱗形北条殿をもてなす。きのふは大じの談合にてちゝぶ殿へちゑ
かりに。けふは馬の草刈にいや草をかるも。千草の花見るゑよう
の一つ。此かやぶきの住居もわけしらぬ身はおかしからん。上やしき下
やしき檜ノ木作りもきづまりさに。わびのふせ屋の物ずきあれし軒
(三十六ウ)
端は月見る為。板谷のひさしに雨を聞是大名のたのしみと。うそ
の有たけせんしやう咄し弁舌たくみにのべければ。母上もなをにこ
やかに。今日のお出も前にかくと聞ならば。あまたの御家来召
あつめ御馳走も有べきに。思ひがけなき俄ごと。なんのあいそもな
いことやとあいさつあれば虎御前。アヽうば様のなんのいの。其御馳走が
いやでこそをしかけては参りつれ。母君様の御げんに入お盃をいたゞ
けば。山海の珍物もそれにまさりし御ちそうなし。お帰り迄はいつ迄
も是に待受参らせんと。なをゆる/\敷有さまにいや/\。母はいつ
(三十七オ)
帰られんもしれがたし。あのうばこそ母同前と。祐成床几をおりひつご物
。さゝゑのてうし取はやしすでに『酒宴を始らる。そばよりやり手つかう
どに。そりや清見お酌とれ。何をきよろりと見てゐるぞ。あゝいとこた
へて立所を其まゝ/\。やしなひ君の奥様をいつか見んと思ひしに。今虎様
とのお盃世にも嬉しき此お酌。うばならでたがとらふ命ながきは恥多
しと。いへ共けふの悦びは長いきしたる思ひ出共。今生の本望共。嬉し
いことは言つくす余りに。涙がこぼるゝぞや。先虎様のお盃うばが頂戴致
さんと。主あひらひの親の恩祐成も身に余り。なふとら御前ちぶさを
(三十七ウ)
ふくみだきかゝゑ。そだてられたる厚恩は母上とても外になし。めのとゝ
ばし思はれそ御身が為のしうとめと。思ふて盃頂戴あれ。いや/\うばは
下人の身。先とら様のをいたゞかん。去とては祐成が身の冥加。先そなたより
いやあなたよりと。互にじたいの盃はくまぬさきより親と子の哀も色
に出ぬべし。詞のはしにとら御前。心を付て能々見れば御※ばせのさも似
たり。痛はしや母君の下人もつかはぬそが殿原。ひんくをかくさん其為にめ
のとゝ名乗給ふぞと。膝をなをし手をつきて。みづから今日参ること
しうとめ君の御盃。何とぞいたゞき参らせたき望一つに候へば。ぜひに
(三十八オ)
わらはに下されて。願ひをかなへたび給へと思ひこみたる其ふぜい。やり手もか
ごもふしんを立。扨はあのばゞが祐様のお袋そふな。母の手なべの大じんとさゝや
きのぞくを見るに付。母は悲しさやるかたなくなをも色を悟られじと。なふ
恐れがまし憚や。我らはいやしきお乳うばぞおゆるしあれと立給ふ。アヽ心づよ
き母君様。御へだてはよそがましと引とゞむれば。なむ三宝顕はれては我
子のはじつゝまん物をときをくだき。立ゐをあらくけがのふりすそに。つまづき
かつはとまろび。提重も衝重{ついがさね}も。一度にどうどけちらせばてうしの酒は
こぼれ出。盃乱れてよしの河。花をながすがごとく也。母おきなをりこ
(三十八ウ)
ゑを上。お恥かしや面目なや十郎様のお乳めのとゝ言るゝ程の此
うばが虎様にばうてして。畳ざはりのあらければ不調法共ふつゝか
共。さすが下人の浅ましさ行儀作法もならはねば。すじやうが顕れ
候ぞや。祐成様はあはれみ深く母同前とのお詞を。虎様は誠と思ひ
しうとめあしらひ勿体なや。忝くもそが殿原の母君は。土井殿の
姫君。伊豆一国の大名かはづ殿の後家君也。いかによめごがなつかしい
。祐成殿がいとしいとて外に下人もなきにこそ。うばが様にかる/゛\しく
人々の酌取て。我子の恥を顕はすべきか。其ごとく此うばにしたしみの
(三十九オ)
深き故。よそめには親子と見へとら様はじめ。此うばをお袋様と思召す
。御身の恥はもとより母御様の御恥辱。みらいにまします河津様ゐ
はいをけがし給ふかや。たとへふまれたゝかれてもうばは内證。弓矢取身は
世間が大じ下人と言せうこを見せ。恥辱をすゝぎ給ひなば母御様へ
は海山の。孝行ならめとかきくどきすがり付て泣給へば。祐成も力な
く。取てつきのけこゑをあらゝげ。ヤアすいさん千万。たとへをのれが錦を
まとひ。御簾几帳{みすきちやう}にまつはれても。祐成が母にそもや似ても付べ
きか。いはれざる老ぼれのくりことにかへつて人もふしん立。かつ手へ立と
(三十九ウ)
扇をぬいて。ゑしやくもなく丁々。ちやう/\丁とたゝき付。なむ諸天
三宝あはれみをたれ給ひ。母をうつたる罪障消滅{ざいしやうせうめつ}ゆるさせ給へ
と心に念し。面にはいかりを顕はす両がんに。かなしみのなんだはら/\/\。
をさへかねたる不便さに。母もわつと計にてぜんごふかくに。泣さけぶ
びんなき。親子ぞ。あはれ成。跡さきしらねばとら御前。あいさつしかね
て見へたる所に。弟の時宗いつのまにかは入たりけん。ゑんの下よりはい
出祐成の膝本にむんずとすはり。是十郎殿兄き殿。此五六日時
宗をえんの下に置れしは。折をうかゞひ御勘当申なだめんけい
(四十オ)
やくならずや。但母上打擲{ちやうちやく}の音きけとて置れしか。子として親を
打こと。異国には例{ためし}もあれど皆悪人の部にて入て。雷{らい}にうたれ鬼{き}に
つかまれ。天罰を受しぞや。時宗は此三年おそばにあらねばしらね共。五
六日の間にさへかゝる不孝の有からは。三とせが内を思ひやる。エヽうらめ
しい情ない曲もない祐成殿。こなた計の母なるか時宗も子の内
なり。えんの下にて聞ならばさぞや悲しかるべきと。思ひやりもなき
ことは兄共覚えぬ心やと。道理をつめ義をつめてこゑもおしまず
なげきしが。エヽつれなの母上や時宗が不孝とは。御詞をそむき
(四十ウ)
元服したる計也。いつ手にかけて打奉りしぞ弟には成まい物。兄
には生れたき物よ兄の不孝は孝と成。弟の孝は不孝と成百
人千人有子にも。ゑこひいきはなしと聞にわけてひとりをにくま
れ子。いか成過去の因果ぞと。畳をたゝき身をもだへ大ごゑ。上ケ
て。泣ければ。十郎を始とら御前。心なきやり手かぶろ。かごの者に至る
迄皆々袖をぞしぼりける。祐成涙をおしのごひ。所詮祐成御そ
ば近く有故に。時宗に御ふびんうすし弟に成かはつて。某御かん当
かうふらん。時宗は此十郎にかはる上は近ふ参つて孝行つくし御
(四十一オ)
みやづかへ仕れ。立ませい虎御前と打つれ立んとする所を。なふ待
給へとら御前しばらくまて祐成。同じ子共にゑこ有と思ふうらみは
ことはりながら。ゑようゑいぐはに大じの子勘当が成物か。親の誠
のじひ心は。外よりは見へぬぞよ。いひたいことは数々ながら虎にはじ
めてたい面の。祝義のしるしにしばしが程かん当ゆるすとの給へ
ば。はあゝツと計に時宗は畳にひれふしうれしなき。とら御前も
祐成もともに悦び涙の雨。ふつてわいたる御きげんといさみ給ふぞ
道理成。母上重ていや/\。かん当ゆるすとてながふゆるすで
(四十一ウ)
さらになし。冨士の御かりも明日より三日三夜と聞つれ
ば。兄弟お供の其あひだ三日がうちは我子なり。すぎては
もとのかん当。それよりのちは時宗が心見すへしうへのこと
。まづ/\三日はおやと子のしるし也との御盃。何がなかりばの
はなむけや花すり衣鶴亀の。染小袖は祐成時宗には
松竹の。ぬひの小袖をうちかづけ。かりはいくさのまなびぞや
せこのかけ引たて様に。心を付て見覚えよ時宗はがまん物。ちから
わざすなとをがけすな。手おひじゝあらくまの。ちくるいしとめ
(四十二オ)
てゑきもなし犬じにしてわらはれな。三日のことをわすれずは
兄をいざなひはやかへれ。其ときめで度対面せん千秋楽萬
歳楽と。いはひ給へば兄弟はたがひに目と目を見合せて。三日
のうちに本望とげすぐにめいどのはなむけの。御小そでは
はた天がいじやうぶつ迄もうたがひなく。かたきを討てしゆら道
の。いくさをまなぶ御かりばやかりばの。鹿のいのちよりもろ
き二人がいのちをも。母にゆづりてよろづ代や千代の鶴亀松
竹の。とらは大磯兄弟は冨士の。すそ野に出にけり
(四十二ウ)
形見をくり
下之巻
なごりおしかのかり衣。/\立日や。かぎりなるらん。祐成
馬を引とゞめ。いかに時宗。是こそは虎が石。あかつきごとに此
石迄。風の吹にも雨の夜も。我と送りしあしたの霜しろ
むくに。ひとへおびしてよるの雪。花水の橋になくからす。はうらい
寺のかねのこゑ。禿はあれど。挑灯なし。海の音やら嵐やら心。ぼそ
さのかねことに。せまりし恋の。一念を。此石にとゞめをき。情しりには
うごく共やぼなぶすいな男には。千人力でもうごくまじとおもふ
(四十三オ)
余りのたはふれを。禿があだの口ずさみ。ゆきゝの恋のためし草。虎が
石とは言ぞかし。あすよりは此石を。介成が形見共虎がなけかん不便やと
思ひなやみて見へければ。仰のごとく虎御前うらみいたはしく候へば。御立
寄有て御暇乞候べし。時宗は勘当御免の日限極り。わづかの間に大
磯へ立寄こと。天のみやうが本望のさまたげそらおそろし。一足も早く
ふじ野へ急ぎ。狩屋の体をも見置申さん。いざゝらばと立出る。い
やとよ我とても。思ふめあては只一つ。外にひかるゝ心なし。去ながら
。馬に付たる形見の品々文迄も。かりばはこともいそがしからん。されば
(四十三ウ)
雁のつばさに。文を伝へしためしも有。老たる馬の道しるべ。胡馬{コバ}北風に
いばふるとや。馬こそ古郷の道はしれ。年比手なれの此駒の。常々のべの
はなし飼にも。必厩{ムマヤ}に立かへる是よりそかへ追かやさば。形見も文
も母上の。御手に早くわたるべし。げに御ことはり同じくはこね二の宮へも
慥にとゞき。大磯の磯に音を鳴村千鳥。見らるゝも夢見る人も。夢の
あげはのてふ千鳥。ひたゝれといてかたにかけ。兄弟くつわに手をかけ
て。しやうあらば聞受よ。ちくるいとても主従のわかれはさらにかはらね
共。是より古郷へ帰りなばたとへば戦場に。敵はだ近くふとばらゐさ
(四十四オ)
せ。討死の供してしでの山路をのせんより。いくばくの情ぞや。心はふみに
あらはしをくかたみの。数をおとすなよ。ゑびらやなぐゐゆみゆかげう
つぼにそへてむかばきや。皆誰々と書置の。守袋は。母上へ文を
ば策{ムチ}にゆひ付し。虎少将が明くれにすいつけづりつなで付し。髪の品
でもしれかしと。びんの黒髪ふうじ文。せいしはみらいへ持ぞとよ。禿の清見あふ
坂にせきのこま入ばち袋。門番茶屋の夫婦迄虎少将が見はからひ。なきか
げ残すびんかゞみ。三浦の与一のをば君へ。今はのきはのかたみ也。ほうろく頭巾は
わだ殿へ。けぬき一対朝比奈殿。本田の次郎近経に。後の代かけて頼みをく。
(四十四ウ)
。身はさんこじゆの疵つきて罪おもく共かろく共。ゑかうをなして印籠の
重て物な思はせそ。アヽ此駒よ。/\。汝には年来よみ置しふもん品。馬頭
くはん音の悲願によつて。ちく生かいをまぬかれ人がいに。生を受。我々も二度
しやばに生れなば。又主従と成べきぞつきぬなごりも是迄ぞ。ふびん
やな此馬の。物いはずかたらねどうらみもうきもしりつらめ。物いふ人のわ
かれより。あはれはまさるうきなごり。さらば。/\と涙ながら。くつわづらをしなを
せば。聞入て行足なみもしどろ。もどろに立帰り前ひざ。折てみゝをたれ
。こぼす涙は道芝も。きばむばかりにふししづみ立あがりては立もどり。
(四十五オ)
さらばといはぬ計にて二三度四五度立帰る。兄弟もなをふりかへり
やすらひ。たゝずみ行道も次第。/\に遠ざかりいなゝくこゑも。かすか
成。かすみへだてゝわかれ行。今は我身のかたみにも世にも人にもはな
るれど。はなれぬ母のおもかげに跡へと。思ひかるればめいどの
父のゆかしさに。先へも足の。いそがれてはしり行くれ。いつのまに立や日数
も二夜三夜。我身につもるふじの雪。うき嶋が原見わたせば。かり屋/\
のかり屋だて。其かり屋より我々がけふの命を。引よせて。むすべば
かりの庵也。とくればあすの野原とやすそのも。近く『成にけり
(四十五ウ)
野辺は金銀。五色の印。家々の幕小ばた。錦をさらすにことならず
。そが殿原のかり屋とて。かこふもせばき岨陰{そはかげ}に。小屋具不自由千
万ながら。心は鬼王団三郎。大名とてもなんのその。男は気で持竹柱
人が笑はゞわらびなは。五間四方も百間も。道理はよしや芦がこひ。二人
が木やり十人前。やあゑいやらさ。ありやさのゑいやらさをし。ゆがめ松の
たる木に竹ごまゐ。団三郎はやねの上。ふきもならはぬ笘ぶきの。笘二三枚
たらざれば。鬼王はかやかりて。おほへど風にふうはふは。不破のせき屋の
ひさしかとふきさしてこそ休みけれ。比は五月よ。我里はふじのなごりか
(四十六オ)
ふる雪の。卯の花咲る時しもあれ。虎少将兄弟の。小屋を尋て来らるゝ。かり屋
のやねより団三郎。はるかに見付おいこゝじや爰じや/\と。招かれて走りより
。是は/\。しやれた所にあがつてじやナア。御兄弟はどれぞゑ。先こそ何してぞ
。よはそふなやねの上に。あぶないことやと言ければ。団三郎打笑ひ。されば/\そが兄
弟が御狩のお供と有ならば。定てとら様少将様の御出ならん。大磯けはひ坂の揚
屋にて。御参会はふるし/\。気をかへてかり屋の枕。おき出て見れば田子のうら
。ふじの高ねの白雪奥山に。鹿の鳴こゑきじの声。山鳥のおのしだりおの
。なが/\し夜を鑓手にもせがまれず。あはせませんと存じて。我々たつた二人し
(四十六ウ)
て百人衆程はたらけ共。やねふく笘のたらぬ故。一首の歌にかく計。そが殿の
かり屋の。やねの。とまたらず。我こもぶきで。よねに濡つゝ。なんと/\。歌人でない
かと。わらひける。虎少将もおかしがり。いや/\それも面白い。去ながらかふ見廻し
たかり屋/\。金らん錦をはり廻し。花をかざりし其中へ。手ごしきせ川けはひ
坂。大磯山下の女郎衆思ひ/\によばれて。かこひのひとりも残らずこそ。残りし
者は我々ふたり。どふでふると思ふてか。よぶ人なければいくきもなし。とてもうき
名の立ついで。いつそのことばつとして。此かり屋でをどろぞや。アヽくたびれてね
ふたい。御兄弟お出迄と。枕かたふけとろ/\と。ぜんごも。しらずねいらるゝ。兄弟は
(四十七オ)
それしらずかり屋の前。急ぎ通れば鬼王兄弟。是々申。御かり屋は
此所。はや虎御前少将も同道にて。こよひはうたふつをどりつ。御ふたりを
いさめんとて。少酒気も有よいきげん。あれかこひのおくに。ぜんごもしらぬ草
枕。御酒もさいかく仕らん。それ君達おこせ団三郎と。いさみ廻れば兄弟は
。めとめをきつと見合涙に。くれて立居しが。やゝ有て祐成。やれ鬼王団三
郎。汝等先へこしけるは。あん内見せん為成に。いく夜ねよとて此かり屋。こよ
ひかぎりの家々とかたらねば尤也。廾余年のうつふんけふの今夜にはら
さんと。兄弟かくご極たり。祐経討てももらしても。のがるべき命ならず。二人
(四十七ウ)
の女が聞付。泣悲しまば見ぐるしかるべし。めのさめぬ中に出ばやと有ければ。鬼王
兄弟詞をそろへ。時節がらと申御運がなをつて候へば。思召立給へ。去ながら五郎様
。母君御勘当の御身にて。父御の敵を討給はゞ。みらいの孝行げんぜの不孝
同じくは。母君の御勘当。御免の仰を受とげられ。父母教養にさはりなく
ば。仏神納受疑ひなしいかゞ。あらんと申ける。五郎聞もあへず我もさこそは思へ
共。こよひにをいてはのばされず。汝ら二人の内一人は古郷へ帰り。時宗は風気によつて
。明日罷帰るべし。それ迄一日一夜が間。勘当御免有様に。申のばしてゑさせよ
。はやとく/\と頼にぞ。祐成二人が心をさつし。主も兄弟下人も兄弟。主従一世の
(四十八オ)
大じのは。いづれか甲乙有べきぞ。鬼王は祐成が代。団三郎は時宗が代として。二人共
に古郷へ帰り今。一日一夜の御免を申のぶる程ならば。さいごの供には百ばいの忠
節ぞや。そむくにおいては河津殿も聞召せ。永劫迄の勘当と。心づよくは言
けれ共祐成も時宗も。三世のきゑんの主従の。過去現在ははや過て。今ぞみらいの
わかれかと。そゞろに涙を。ながしけれ。鬼王兄弟はつと計。返事の外は一ことも。泣々
つれて立出る。そが殿原もさらば共。言ずこたへずしみ/゛\と行は。見返りとゞまる
は。見送るのべもくれかゝり草ばにとぼす蛍火の。いはでこがるゝわかれこそ言にも
まさる思ひなれ。今はうき世に。思ひ置ことなし心にかゝるは後世一つ。御へんははこ
(四十八ウ)
ねにて御経の一字も読{よみ}。法文の一句も覚え給ふ。無仏無法とは祐成よ。父母兄
弟一蓮に至るべき。御法を授{さづけ}しめしてたべ聴聞の間は時宗を弟とは思はず。引
導教化の善智識{ぜんちしき}ぞと。合掌{がつしやう}あれば時宗はだの守にかけたりし。金泥{こんでい}の御
経を取出し。是は浄土の三部経とて。往生極楽の法要{よう}たり。あら/\といて聞せ申
さん聴聞あれと。をしひらかんとせし所に虎少将はめをさまし。なふ十郎様五郎様。などや
はかない御咄しねみゝにふつと入し故。すまして聞ば後生をたすかるお経とやら
。それが狩場に入ことかいか成ことぞ気遣な。御兄弟の生死の道此ふたりが残
らふか。わけが聞たい/\とせがまれて十郎。ムヽ扨は夢かな見やつたの。我々が
(四十九オ)
咄しは御狩にあまたころさるゝ。熊ゐにしゝうさき狸。かはいやみらいはどふす
るぞ。一れんたく生とゑかうした迄のこと。定て今のゑかうで皆々成仏するで
有ふ。其中にあの猿めが極楽へいつたらば。定て仏を笑ふそれで一蓮ちく生
じやと。まぎらかしてもいや/\/\。五郎様此経は浄土の三部経とやら。是をとい
て聞せんとは後生ぼだいの為ならずや。今更俄に後生だてしさいがなふてはか
なはず。聞てむねがはらしたやとなきさけべばちんじかね。扨は誠の経と
思ふてか。勿体ない/\。是は時宗が五月雨のつれ/゛\に。くるわのありさま女
郎衆の身の上。筆にまかせ三部きやうになをしをく。
(四十九ウ)
傾城三部経
出々時宗がもん作のけいせい三部経を。あら/\とい
て聞すべし。それ。ふつき大じんの根引はたつとしあり
がたきは水あげいしやう。はつ君さかんの。新枕。三世の
しんぞう出世の本くはい。衆生ゑにしのよすが也ふみにあら
はすときんば。法かいりんきの五じにほだされ。名をつゝむ
時はなむあみ笠の六字で忍ばんす。まぶといつは手くだ
のゐみやう。どんすふとんにいたりがたき者は。局をのぞいて
(五十オ)
こちはいらしやんせゑせかるゝ人を。待よひは。こうしやの入大門也。一
ばん太こにくる者は伽羅国せかいこゝにあり。竹を吹糸を引
ことげい女郎と分明也。禿大師の御しやくして。出口あさ酒む
いき酒西方をもつてさきとせり。自身のをさへ手ばまりの上
戸なれば。本来無分別むしやううんつく共くはんずべし。それ
六じの名号を。しろいかひなに入ぼくろする時は。けごん経にて
長門にくどき。あごん経にてむらさき見そめ。はうどう経
にてあづまをつかみ大はんにやにてみはしらになづみ。法花経を
(五十ウ)
もつてたかおにのぼりなむあみだ仏と申也。あじ十方の色
里の。みじ一切のわけ知て随字。八方きしやう文かいてなびけ
といふ時は。挑灯のらうそくもながれのさとに。ときめきて。通
はぬ人こそなかりけれ。此つとめと申は。をさなかりける時より
も。身だしなみおこたらず。一しん三ぐはんのゆどのにはむみやうの
しそくをてらし。十年の手がたの前にはまゆに七字の霜をま
げ。実相中道の巾着は。おすぎお玉のこしにぶら付八ぢやう
ぼじやりの白むくは。平等大会の床にいとしくやりくり。きてん
(五十一オ)
の時鳥はみやうかく。ひみつの。みゝにさゝやき。そらぜいの文の鶯は
。しんぞくされの中戸にさゑずり。とひやうむしやうのうは
きの花は。ぜしやう。めつはうのかみを切。しやうめきめつきの。くぜつ
の時雨はじやくめつ身請のもみぢをそむ。一子かぶろのくりきに
よつて。ぬれじやうこんのさとになれ。いたいけ小よねのあいきやう
にほれられ給へなむあみだなむあみ。だ仏とのべければ。虎御前
も少将も又わるごうなこと計と。どつと笑へば兄弟は是ぞ誠
のわかれ共。しらぬが仏なむあみだ仏といよ/\念仏『となへける
(五十一ウ)
かゝる所におさきのさゝ原なり渡りすゝきなみよるむぐらふに。年も
ふりたる手負熊せぼねに征矢{そや}を射付られ。あれにあれて兄弟の
かり屋をめがけうなりこむ。とら少将なふこはや鬼が出たとにげま
どふ。時宗ずんど立ふさがりをのれちく生め。よの人には逃ながら此
かり屋へふんごむは。をのれ迄があなどるか牢人力物見せんと。むず
とくんでぞねぢ合ける。熊も命のきはなれば一身の力を四足に入
。だきからんでしめたるは藤のまいたるごとくにて。時宗もほどきかね
こぶしをぬいて月のわを。ゑいうんとつきふせ。よはる所をとつかと乗ル祐
(五十二オ)
成こゑをかけこりや/\時宗。母の教訓忘るゝな。大じの前ぞ殺生
無用助けよはなせと言所へ。狩装束の侍鑓ひつさげて。ヤア/\其
熊くみとめしは。おじき衆かまた者かくらくてつらは見へね共。工藤祐経と
ちゝぶの家来本田ノ二郎と。あらそひの有熊急いでわたせ。かく言は介経
が郎等八はたの三郎と。聞より時宗熊をやつかん八はたをやきりとめんと。た
めらふ間に介成弓と矢取てつがひ。父がゐられし矢つぼを己はづさじ物
と。しんばしかためひやうど切てはなつ矢が。八はたかほそぎはぬきさまに。きも
のたばねをずつはとゐぬかれ。うんと計をさいごにてすそのゝ露とぞきへ
(五十二ウ)
にける。エヽ物はじめよしめでたし/\。是こそは熊の恩いざたすけんと矢
をぬけば。さすがの熊も大力の時宗にしめ付られ。よろり/\とうら
めしげに。跡を見かへる熊のゐのにがいかほしてうせにけり。矢印見れば。一
本は本田ノ二郎近経。一本は工藤左衛門介経。是珍重と八はたがしがいに
立チたる。介成の矢をむきすて介経が矢に立かへ。いざ後を見て笑ひ草近
経の矢をちらすなと。うなすきあふて兄弟はしばらくかり屋に忍ばるゝ。ほ
どなく介経本田もろ共こゝよかしことかけ来る。本田ノ二郎ゐんぎんに
。たとへこがねをまろめたる熊にても候へ。介経公に対しあらそひ申にては
(五十三オ)
なけれ共。まさしく近経一の矢を仕つて候物を。偽りとの御詞其実否{じつふ}
をたゞさん為。足をついやし候へ共はやくれにも及びたり。御休息あれかし
といへばいや/\。さいふて介経を出しぬかんとや。一の矢二の矢はいさしらず
とめたは某。おちを見よと草をわけ。ヤ此しがいは何者じや。それ引
なをせとつら上させ。能々見れば八はたの三郎介経大きにせいて。弓矢八
まん大菩薩それ矢にもあれいしゆにもせよ。当時介経がけらいをやみ/\と
ゐさせ。敵とらで置べきか。ヤア能せうこ※さんなれと。矢を引キぬいて
矢印をすかして読も高々と。伊豆の国の住人工藤左衛門介経と
(五十三ウ)
。手もりをくひてもかひぞなき近経ほとんどこゝちよく。扨は熊をゐる
と思召御けらいを遊ばせしか。是はお手がら成まいことゝなぶられても一
言なく。大じの下人をうしなひしも熊めがわざ。我君へ言上し日本国
の熊狩して。敵を取てとらすべしと。八はたがしがいを下人にかゝせすご/\かり
屋に帰りける。はるかにへだてゝ本田ノ二郎。此御かり屋はそが殿原候な。今日鬼
王団三郎を見付し故。そつじながらの御あん内。只今八はたがさいごの体をもつ
てさつするに。御矢さきにかけられ熊をしとめて。矢印をかへられし。御振
舞と推量致し神妙の御働{はたらき}。廾年来恨みのあら熊しとめ給ふに
(五十四オ)
程有まじ。是によつて主人重忠。かのあらくまのふしどをもあん内致し。御力
にもと申付られ候へば。身に応ぜぬ御用にても仰付られ候べしと。小ごゑ
になつてをとづるれば兄弟かけ出かしらをさげ。誠に重忠殿御ン主従年
比の御厚恩。何と報じ奉らん。我々が望をかけしかのあら熊をしとめんこと
。ぜひにこよひと存じ立ぜんご心にさはりなく。出立計に候へ共大磯けはひ
坂の遊君共。かりば一見とて来りしを送りかへしたふ候が。似合ぬ御無心申か
ねしと有ければ。何が扨おやすいこと/\。人を付て送りとゞけ申べし。是は千万忝
なし然らば頼奉る。何が扨何の遠慮も夏の夜の。更るさきにと虎少
(五十四ウ)
将是ぞ一ごのきぬ/゛\と。しらでわかれて行空に。こぼるゝ雨や後の世
のたらが。涙ぞふりすさふ。五月雨くらく。雲とぢてむざんや鬼王
団三郎。とまらんと言も主君の為。古郷へかへるも奉公の忠は同じ忠な
がら。東西わかぬむかしよりかたちにかげのそふごとく。かた時はなれぬ
そが殿原さいごの供にはづるゝこと。かばねの上の心外といそぎの道
も足をそく。ヤレ団三郎。是は急成御使あゆめ/\。いや鬼王殿こそ
足をそけれ。急ぎ給へたゞ急げと。いへ共後へ引もどすやう/\三里の
道ばかに。ふけて其夜も夜半過八的が。原にぞ着にける。猶ふり
(五十五オ)
しきる雨風に一きはすぐれてどう/\と。沖打波かいかづちかと兄弟
跡を見かへれば。こはいかにふじのねがたの松かげに。数万の松明八
方に行ちがひ。かすかにきこゆるときのこゑ。みゝをすませば人
馬のはせちがふる音。雨にひゞき嵐につれ只今敵のよせくるがごとく。
高挑灯とおぼしくてばつとあつまりばつとちり。いはにせかるゝはやせ
川ほたるみだるゝ。『ごとく也。是ぞ正しく御所のかり屋の順道{しゆんだう}。何ごと
かな出来つらんと。しばしあゆみ立たりしが。アヽ思ひ付たり御兄
弟。只今介経がかり屋へ夜討に入給ふよな。疑もなき其さはぎエヽ心
(五十五ウ)
もとなや気遣し。本望とげられしか。討そんじ給ひしかと。二人は足
も地に付ず。日本国があつまつて。たとへ鬼神なればとてそもやいけ
て置べきか。現在の下人が主のさいごを遠目に見て。刀に血さへ付ざるは
よつく刀の冥加につき果し兄じや人。弟しぬにもしなれぬ口おしやと
。こぶしをにぎりじだんだふみどうどざして。泣ゐたり。なふ鬼王殿。母君の
御使は大じといへ共小事也。御勘当はうくる共あんかんと見てゐられず。此
内にかけ付せめて介経が。下人なり共討とめ倶生{くしやう}神の帳面を。ふさぐ
まいかヲヽいみじくも言たりサアこいと。立あがり身づくろひ。ぬれたる袂
(五十六オ)
をしぼり上。おびしめなをす其間次第/\に松明きへ。ときのこゑもを
さまりて二三町もかけゝるが。なりしづまつて暁の五月雨はるゝくも
間のほし。かねなる方や清見寺田子は。浦風ふじは雪夜もしら/゛\と
明にけり。二人はいさめる力も落。行キもやらず立たる所に。そが兄弟夜前
介経を討たるとて。すそのよりのはや飛脚鎌倉よりは見廻のはや打。引
もちぎらぬ其中に介成時宗に討れたる。手負の人々下人親類かん病して
。鎌倉へ引キ取とて往来こぞつて立さはげば。鬼王兄弟力を得主君のたち
の切口見て。思ひ出にせんいざ来れとこかげに『立よりけんぶつす
(五十六ウ)
十番ぎり
先一番にくる手おひ。誰人なるぞと戸板にのせ。たい
らくの平馬のぜう。夜討と聞よりまつさきかけ十郎に出
あひしは。侍みやうが有がたしと弓矢はち巻いかめしげに
。手おひぶりは天晴見事見ごとなれ共うしろきづ。逃疵なり
とぞしられける。次は平馬があねむこ。是は五郎にあいきやう
の三郎。是も戸板にのりまぶれ打おとされたるゆん手の
かひな。すてもやらずもちたるは包丁にのる鮹の手や。ちし
(五十七オ)
ほへんじて小紫。藤の丸のかうやくにて養生くはへて通りける
跡より来る。よろひ武者。手もふか/゛\と乗物にあはれ。也けり
あはの国。あんざいの弥七郎うゝ。/\。うんとなき。うめくこゑたか
ひものはづれより。草ずり三げん切おとされ。煙とならでちとめと
なる割たばこのあさましし。あさまのだけや信濃なるうすきの八郎
景信まつかう。二つに打わられ。かたかほ計いき残り命もあれば
有明のかたわれ月のかげひかるかための。かごのいき杖も恥を。かく
とやかくれなき四十余りのものゝふよ物の見ごとのきれ物かな。こし
(五十七ウ)
のつがひを水車水は手負の禁物と。しらで手向のなむあみ
だ仏。しやかになひして通りしはげんぜのちじよくはよしやよし。大
じは御所のくろ弥五と見物きせんをしなへて。じゆずをする/\
するがの国。をかべの三郎遠江に原小二郎。二疋つれたる山鳥
の草葉にすだく春の野や。わしのはづかひはやぶふさがくも
ゐにおとすとやおとし。はつしとあてゝはひらりとけたて。ひつ
かいつかみしたかの鳥。わしにけられしごとくにてみけんかたさき
切さげられ。あけにそみてよろ/\と。杖を。力に通るもあり
(五十八オ)
勝負は時のうんのゝ太郎行氏。鬼神ならぬそが兄弟かす手も
おほせぬ無念さよ。口おしとてや口へらずこぶしをにぎり。きば
をかむにもきばはなきひざの口を打わられ。下人がかたにかけ
まくも勿体なくも我君の。所領ついやすふかく人。しんがいの
あら四郎兄弟が太刀風に。小柴垣をおしやぶり高ばひして
逃たるとて。あほうばらひのわり竹にをつ立。/\はらひ清め奉る。臆
病神の夏かぐら。るざい楽や死罪楽と笑はぬ者こそなかりけれ。扨
其外御家人端武者{はむしや}。薄手かすり手三百余人かたにかゝり手をひ
(五十八ウ)
かれ。すそのより鎌倉に手負はつゞく道芝も。ちしょほにそめて時な
らぬ草のもみじにことならず。引さがつて御所の五郎丸。日本※双の功の者
そがの五郎時宗を。くみとめたるげんじやう御馬副{ぞひ}より昇進{せうじん}して。御家人並
のあんどの御判。召の御馬を給はつてゆゝしげにこそうつたりけれ。新田の
四郎忠つねは。介成を討とめて首を取たる御かん状。休息のおいとま給
はり是も御馬を拝領し。白あはかませてしづ/\と。打て過ればゆきゝの人天
晴手がらとほむるも有。あつたらそがの殿原を哀や。おしやとしたふも
有悦びのこゑなげきのこゑ。みねの松風打そひて野は管。弦の『ことく也
(五十九オ)
鬼王殿うき世は是ぎり。ぼつつめて新田五郎丸を討とめふか。すそ
野へ取てかへし時宗殿をうばひ取ふか。古郷へ注進申そふか貴殿のし
あんはどふじや/\ハテ目前主の敵也。新田の四郎と五郎丸を討とめるが上
分別。こつちもそふじや。サアこいと。かけ出しがヤアまて/\/\。現在世に有
時宗殿。見ごろしには成まいうばひかへすが第一。そふじや/\と取てかへしいや
/\/\。此二つは我々が身一分の忠義。御兄弟が二世かけて。御心にかゝるは母
君の御こと。いざござれとかけ出しがいや主君は見捨置れまい。かたきもい
けて置れまいか。それも忠義是も忠義。忠義は三つ身は二つ中を取て曽
(五十九ウ)
我中村。是一大じいざこいと古郷をさしてぞ『いそぎける。誠な
るかな。をしへずしてころすを虐{ぎやく}といひ。いましめずしてなるを見る是
を暴{ぼう}といふとかや。夜前のさうどう頼朝が薄徳{はくとく}よりことおこれり
。じきに尋ねとはるべしと忝くも大将軍。外幕{とまく}ちかく御出あれば大
老別当評諚衆。御座の左右に列座{れつざ}して。そがの五郎時宗引ませい
とぞ申さるゝ。むざんやきのふ迄さかりの花の時宗も。けさはとりこ
の高手のなは御しらすにひつすゆれば。大将を一目見てかしらもさげず
めもふらず。おめずおそれぬがん色は洸然{くはうぜん}としていさぎよく。そがしたし
(六十オ)
みのわだちゝぶ中にもひいきつよき朝比奈。あれいづれも御らんあれ。諸大
名の見る前なはをかゝつて御前へ出。きよろりとして罷ある扨も/\つ
よいやつ。日比朝比奈が申たが偽りか。そふじや/\男はそふじやと悦
びあふぞ頼もしき。大将甚かんじ給ひ。先年平家の大将宗盛を生
どり。鎌倉にて対面せしに。頼朝は大納言かれは内大臣の身と
して。予{よ}にひざをかゞめ手をつかね。命をたすからんとけいはくありしぞ
かし。無位無官の時宗が頼朝にめしとられ。へつらひもなき振舞
子路{しろ}が勇{ゆう}。予章{よしやう}が義にもをとるまじ。あの心では頼朝を祖父伊
(六十ウ)
藤が敵とて。膝もと近く切入しも尤也。とふべきことはあまたあれ共尋
るに及ず。日本不双の勇士とはかれがこと。兄祐成がぶゆうも思ひやられ
て残念也。よし/\それはかへらぬこと。汝がらうぜきの罪をゆるし。介経一家に
わぼくせさせ。所領をあたへ召仕ふべきが。命を助かり奉公すべきかとの給へば
。時宗かうべを地に付。有がたき御諚生前の面目申上るに所なし。介経討
て候へば命がおしう成候。御助けを蒙り父が本領かはづの庄を給はらば。ぶんこつ
をつくし御奉公仕るべしと。始の体に引かへて恐れ入たる有さまに。一座
の大名興さめて目引袖引わらはるゝ。わだちゝぶも詞なくさすが
(六十一オ)
の朝比奈力をおとし。エヽ口がきかれぬ/\と。人のうしろにすりよつてなけ
首してぞゐたりける。鬼王兄弟が注進にてかくと聞より母上。虎
少将もろ共ばん所もけいごもいとはゞこそ。かり屋の御前にこみ入て。や
れ五郎か時宗か。介経うつたりでかいた/\十郎は討れしとや。まつかうあ
らふと思ひし故責て一人残したく。出家せよとは言つるぞそれもくやみて
かへらぬこと。五郎丸とやらんに組とめられしとは。口おしや無念や坂東一の
大力。朝比奈殿にもまけぬ者。百人力あればとて小わつはふぜいにとめ
られしは。母が勘当気にかゝり気をくれしたる故ぞかし。ゆるして
(六十一ウ)
くれよ時宗母も勘当ゆるしたぞ。生々世々迄我子ぞや。是我子
なるはとすがり付。御前共はゞからずこゑを。あげてぞ泣給ふ時宗はつ
と悦び。ながく御勘当御めんとや。エヽ/\/\有がたし忝し其お詞を聞たさ
に。しばしが間もふかく人みれん者といはれしに。うれしや嬉しとつゝと立
。是頼朝殿。此時宗が真実命たすかりたいと。おぼしめすか笑止やの
。なん時にても勘当御めんの詞をきかば。兄十郎のさいごばにて。立ばら
きらんと思ひしに。只今ゆるしを受たれば命いきて何にせん。所領を
くれて召つかはんとはどの口うら。わるふたすけだてなされたら。鎌倉中
(六十二オ)
に人だねはあらせまじ。サア/\命めされよくびうち給へかまくら殿と。ざう
ごんはいて立ければ。朝比奈悦びとんで出。それでこそ朝比奈がひい
きする五郎なれ。つよいことよふいふたでかした/\そふじや/\。いづれも
御らんなされたかと。すく/\たちてぞいさみける。頼朝おやこの心ざし御かん
しん浅からず。一家にみらいの盃させしづかにいとまをとらずべし。扨兄弟はあら
人神の神領に三百町。老母が後家領三百町。鬼王兄弟三百町
千町千里のとら少将。けん女のほまれぶゆうのほまれ。御ほうび
有も源氏の君の。御代さかゑ行松竹のすぐ成。民こそめでたけれ
(六十二ウ)
右此本者依小子之懇望附秘密
音節自遂※合令開版者也
加賀掾
二条寺町西へ入町
山本九兵衛刊


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