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ぜんじそが

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校正

翻刻にあたり、横山重編『古浄瑠璃正本集第二』(角川書店、1964)所収の前島春三氏本(底本と同一、以下【古】)本文と比較対照した。
(四ウ・10行目)【底】七@—【古】七[郎]
(五オ・2行目)【底】な@@—【古】な[んし]
(八ウ・14行目)【底】むか@@—【古】むかしの
(九オ・7行目)【底】も@をせり—【古】もよをせり

翻刻

ぜんじそが
初段
扨も其後つら/\にんがいをくわんするにあしたにはかうがん有てせいろにほこるといへ共ゆふべ
にははつこつとなつてかうけんにくつるよのならいたのしみつきてかなしみ来るは是みなうい
のさかいねがいてもねがふべきはむじやうぼたひのつとめ也さるほとにう大しやうよりとも
は其ころふじのみかりにていでのやかたにましますが御前には八かこくのしよ大みやうをめ
されいかにかた/\むかしよりおやのかたきをうつたるものかんけ本ちやう其かずおゝしといへ共
こんどそがきやうだいのもの共ほど大かうのつわものはよりともいまだきかさる也こゝん
ぶそうのかうのものあをぎてもなをあまり有神にいわひゑさせんと思ふはいかにと仰
ける人/\承りたれ/\もかくとそ存候へとみな一どうに申さるゝ其時らいてうはたけやまを
めされふじのすそのに兄弟がやしろを立せうめいくわうじんといわひまいねん五月廿八
日には神事をなしほうへいをさゝぐへしすなはちしんりやうにはふしのしもかたまつ風の
がう三百町を付らるべしとやかて御はんを出されいかにしげたゞ御へんはかれらがようしやうの
時よりことにれんみんふかけれはさだめてほうこんも一入に思ふべしいとなみ給へと仰けるしげ
たゞ承りこは有かたき仰かないかに有あふ人々かゝる御なさけは人のためいとなおほすなよ
此御心にてこそ日本のあるしとはならせ給ふなれめん/\ちうかうをつくし給ふべしさあらは
(一オ)
挿絵(一ウ)
挿絵(二オ)
いとなみ仕らんと御前を立給へば一ざの人々君の御ことばをかんしつゝいよ/\心にちうをそ
はげましける扨らいてうはいそきかまくらへくわんぎよ有へしとて人々御供にてかまくら入とそきこへ
ける是はさてをきそが兄弟のらうとうにおにわうとう三郎二人のものは兄弟のかたみを
もちぬしなきこまのくちを引ふるさとさしてそかへりけるそがにもなれば女ほうたちに
近付おにわうとう三郎まいりたるよし申入る母上いそき出給ひいかになんじら兄弟のもの
共はいかに/\と仰ける此もの共かたみのしな/\取出しかやう/\に候と申もはてすたを
れふしてそなくばかり母上ゆめ共わきまへすそれはま事かかなしやと其まゝそこにた
をれししばしきへ入給ひけるいたはしや母上はおつるなみだのひまよりもくどき事こそあはれ
なれ神ならぬ身のかなしさはふじのへのいとまこいと申つゝおとゝいつれてきたりしを五郎
がそせう斗そとたゞかりそめに思ひてながきわかれのいとまこひとはゆめにもしらざる
はかなさよいくほとそわぬものゆへにうらめしや時むねをうわべはかりにふけうしてとし
ごろそはざりつるこそかなしけれあらなつかしの兄弟やいつのよにかはわすれんとこゑをあ
げてそなき給ふすけのぶも出給ひげにとうりことはり也それかしとても五つや三つより
取そだてじつしと思ひあさゆふにおろかならすおもへ共しよりやうひろからされは一しよ
をわくる事もなく其上御かんどうのすへなればきよげならんもそらおそろしく思ひし事
もゆめ也とてなくより外はなし母は思ひにたへかねておしからざりしつゆの身のかれらがゆく
(二ウ)
挿絵(三オ)
すへもしやと思ふゆへにこそ今まで命もおしかりつれ此上はながらへ物をおもはんよりいかなるふ
ちにも身をしづめ今一そどらいせにて兄弟をあいみんと思ふ也いとま申人々と立出んとし給へ
ばすけのぶをはしめ人々おさへこはふかくなる次第かなうきよのならい御身ひとりにかきるましさし
もはんじやうし給ひし平けのきんだち一とにすへ廿人めのまへにてちうせられ其外ふもにおくれ
子にはなれなげきかなしむものはおゝからんされ共命をすつるものはなし其上子のために命をすて
給はん事さかさまなりつみのふかさいかばかりとかおほすらんなくなみだも子共のためにはめう
くはとなつてかゝるときくいかにも御身をまつとうしてほだいをとぶらい給ふべしとさま/\けうくん
し給へばちからおよはす女ぼうたちにかいしやくせられなく/\つねの所に入給ふさて又おにわう道
三郎はいざや大いそのとら御ぜんにすけなりの御かたみをとゝけ奉り其後とにもいかにもならん
とてそれよりも大いそさしてそいそきけるとらのつほねに立よりげぢよにちか付かやう/\と
申けるあらいたはしやとら御ぜんはいづぞや山びこ山のわかれよりかねてごしたる事なれ共今さらかくと
きくよりもむねうちさわぎいそぎ立出つまのてせきのなつかしさにさつとひらいてよまんとす
れ共なみだにめもくれもじ見へすせめての事にかれらにちかづきすそのゝあらましとわんと
思へばむねにせかれてこゑ出すせんかたなみだにかきくれてむねにあてかほにあてたをれふしてそ
なき給ふ二人のものも人のなげきわが思ひかきあつめたるもしほくさもとより思ひさだめしみちな
れはなみだをおさへ申やう御なげきはことはりにて候へ共今はかなはぬ事なれは御なけきをとゝめられ
(三ウ)
ゆくすへながく御とふらい候べしそがにて母上の御なげきいかばかりとかおほすらん又を我/\もいまだ
おさなき御時よりかた時へんしもはなれ申さすあくればおにわうくればとう三郎とめされし御
ことばのみゝのそこにとゞまつてわすれかたく候へはおなしくはめいどの御供と存候へ共それはかへつて
なに人の御ためにもならす候へは此上はゆくすへながく御とふらい仕らんと思ひさだめ候と申もはてす
こしのかたなをひんぬいてわれともとゞりおし切てかたなと共ににしへなげ命つれなく候はゝ又こそ
御めにかゝるべしおいとま申さらばとて立出んとしけれはとらはたもとにすがりつきあらたのもし
きしよそんかなせめてなき人のかたみには人々をこそ見てなぐさまんと思ひしになこりおしの
人々やとすがりついてそなき給ふ二人のものもさすがあはれに思ひつゝなくより外の事はなし扨有べ
きにあらざればいとま申さらばとてしよこくしゆぎやうに出にけりとらは思ひにたへかねて
ひそかにしゆく所を立出てかしこのてらへ立よりと有ひじりをたのみつゝせうねん十七才にて
たけとひとしきくろかみを四方じやうどゝそりこほしすみのころもにさまをかへつまの
ほだいをとふらいけるとら御ぜんの心の内あはれ共中/\何にたとへんかたもなし
二段目
其後こゝにかわつの三郎すけしげのすへの子そか兄弟がおとうとにおさなゝをおん
ぼうとてちゝがいみの内にうまれしかは母上思ひのあまりにすてんとし給ひしおぢいとう
九郎取そだてすけきよ京へのほりし時ゑちごの国くがみのちうしをたのみつゝしゆつけをとげて
(四オ)
今ははやぜんじ坊にてせうねん十八才になりけるがあに共がふじのすそのにておやのかたき
とうちじにせしよし聞よりもあらうらめしの兄弟の人/\やさほどに思ひ立給ふ身か此とし月
それがしに何とてしらせ給はぬそやさきにうまるゝをあにとしのちにうまるゝをおとうとゝいふ
ばかりにていづれかちゝの子ならすや我ゆめばかりしるならはたとへほうしの身也共いかでか人には
おとるべき兄弟三人によるならはおそらくはすけつねはいふにたらすおそれながら御れうを一太刀
うらみおふぢいとうのあたをほうぜん事あんのうちにて有べきにれうゑんへだつるかなしさはかく
としらする人もなくあらくちをしの次第やとなみだにくれていたりしが今はなげきてかいもなし
此上はせめてほうしのやくなれはごせをとふらい申さんとぢぶつどうにひきこもりよきにとふらい
給ひける是は扨をきこゝにくどうさへもんすけつねがこじうといぬほうがためには母かたの
おぢにかのゝ七@むねちかとて有けるが心に思ひけるはゑちごのくがみにこそそが兄弟かおと
とぜんじ坊とて有なればたとへほうしの身なり共いぬほうがためには是もかたきのたねな
れはしよせん君へ申上きやつをもうしなはばやと思ひいそぎ君の御前に参り此事しろしめされ
てもや候らんこかはづがばつしそが兄弟がおとうとにぜんじ坊と申てゑちごのくがみに候が日本一
のあくそうあにゝましたるふてきものにて御れうはせんぞのかたきなればいかにもしてうしない奉
らんととうらうがのそみをなしあまつさへきんごくのあくそう共をかたらひ寺もんなやまし御よし
うけ給はつて候也ほうしの身にては候へ共かゝるあくそうすなをにおかせ給ひなはいかなるあくしか
(四ウ)
仕らんとさま/\さんそう申けるよりともげにもと思召さあらはいぬほうがためにもかたきのはし
にて有間な@@といぬぼう両人はせむかいめしとつて来るべしもし大しゆ共いぎにおよばゝ
うち取べしとの御でう也むねちかかしこまつて候と御前を罷立おいのいぬほうを大将にてつがう
其せい三百よきゑちごをさしてそよせにけりくがみの寺になりしかは二ゑ三へにおつ取まはし
時のこゑをそ上にけるもとより寺中には思ひあらざる事なれば何事やらんと上を下へとかへし
けるされ共としころなるほうし一人立出たゝ今おしよせ給ふはいかなる人にてましませばぢうじにいこん
候か又しゆとの内にいかなるねたみの候てかゝるらうぜきし給ふかやめうしなりを承らんと申ける
其時むねちかこまかけ出しあぶみふんばり大おんあげたゝ今おしよせたる大将をいかなるものと思ふ
らんくどうさへもんすけつねがちやくしいぬぼう丸かく申はかのゝ七郎むねちか也らいてうの仰にてこの山に
かわづがばつしせんじ坊とて有よし上ぶんにたつしいそぎつれてまいれとの上いによつて両人罷むかつて
候也いそいでかのほうしをわたさるべしいかに/\と申けるぜんじ此由聞よりもねがふ所のさいわいなり
かわづがばつし是に有といふまゝにかけ出んとしたりしを人々ふかく也とおしとゝめぢうし一人出給ひ
いかに人々我こそ此山のぢうそう也たとへはせつがいにんじやうのつみをおかせし大ぞくの身なり共てつ
はつせんゑの身とならばなとかしやめんなかるべき其上ようしやうよりしゆつけとなり
五かいをたもちししやもんになんのとがめか候べき是はひとへにかた/\はからい給ふとおほへたり
よしそれはともかくも時にいたつてくそうをたのみてきたるさいにんなり共出すましまして
(五オ)
挿絵(五ウ)
挿絵(六オ)
是はたねんのしてい思ひもよらぬ次第也はやくかへり給へと仰けるむねちか大きにはらをたてぜひ
/\いださぬものならは寺中へ入てうばいとれやといふまゝに一どにとつとそかゝりかるぢうしのもん
とう有しまに大ぜいの大しゆたちものゝぐひしとかため我も/\ときつて出こゝをせんとそたゝかい
けるせんじ此由見るよりも我ゆへにとがなき大しゆたちになんぎをかけ其上のがるへき身にてなし
今はこうとおもひ長刀かたにうちかたげ一ぢんにすゝみ出我こそかわづがばつしいとうのぜんし坊とは
わが事としつもつて十八才しゆけの身にて候へはあにすけなりや時むねほどこそあらす共
ちかうよつて手なみをみよいかに/\と申けるむねちかいぬほう是をみてあれいけとれといふまゝ
に大ぜいどつとかゝりけるぜんじ此由見るよりも長刀をおつ取のべ大ぜいにわつて入爰をさいご
とたゝかいけるくどうが大ぜいぜんじ一人に切たてられ四方へはつとそにけたりけるむねちかかなはじ
とや思ひけんこまひつかへしにげゝるをぜんし長刀からとすて手取にせんとおつかくるむねちか
こまのおづゝをむすと取しりいにゑいとひつすへのつけにかへる所をとつておさへくびねぢ切て
かしこへすて是まで也人々いとま申候とこしのこさすがひんぬいてゆんでのわきにかはとたてひき
まはさんとせし所を大ぜいどつとおりあいやかていけ取なわをかけかまくらさしてとひきに
けりぜんし坊が心の内むねん共なか/\申斗はなかりけり
三段目
其後ぜんし坊はじがいをはんにしかけつゝ大せいにいけとられかまくらさしてひかれける心のうち
(六ウ)
こそむねんなれかまくらになりしかは君の御前にひつすゆるよりとも御らんじわそうはかはづ
か子にて有けるかせんじ承りさん候いとうがまごかわづがはつしにて候と申よりとも
聞召扨兄共がかたきうちけるをはなんじにはしらせざるがせんじ承りこは仰共おほへす
や一ふく一しやうの兄共がおやのかたきうちにとてしらせたらんをたといしゆつけの身なりとて
どういせぬものや候べき御すいりやうも候べしおろかなる上いかなとそ申ける君聞召なんじがま
なこざしよりともにいしゆ有と見へたり事をたづねん其ため是までめして有けるにゆへな
きかのゝ七郎をうち取其上そこつのじがいいわれなしいかに/\と仰けるせんじ承りそこつとは
何事そ此ほうし一人をとらんとて人もこそあれかたきのちやくしいぬほう又はおぢのむねちか両大
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命をあわれ兄共が此事ゆめほどしらせて候はゞ二人のものはすけつねにおしむけぐそう一人御しん
でんにしのび入おそれなから君をたゞ一太刀にうち奉りごせのうつたへにせんものをかゝるなわ
めのちじよくをかきやみ/\ときらるゝ事こそくちおしけれ是につけてもくわほうのせう
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(七オ)
やとかんぜぬものこそなかりけれよりとも聞召なをもかれか心を引みんと思召やあいかにせん
じ其てにてもいきんとおもはゝたすくへしぜんじ承りから/\とうちわらひよく/\それかしを人共
おぼしめされすやたとへびんばつこそはまろめたり共心はたれにかおとるべきもしさもとや申さん
を聞しめされんため候なまさなき君のことばかなさやうの事をは人によつての給べし此ほつしには
むやくにて候とはつたとにらんで申けるよりとも聞召きやつめも兄にはおとらぬかうのもの
たすけおきなはいかなる事をしいださんそれ/\ゆいのはまにてかうべをはねよと仰ける
爰にかのゝ七郎むねちかゞちやくしかのゝ小二郎むねみつ罷出おなじくはそれがしに給はるべしおやの
かたきにて候へはてにかけ候はんと申上るよりともげにもと思召はからうべしと仰ける小二郎あり
かたし/\とぜんじをひつたてさせゆいのはまべといそぎけるみぎわになればしきがはしかせにし
むきにひつすゆるむねみつ太刀をぬきもちすでにうたんとしければぜんじ此由見るより
もあはてたりむねみつ我じがいをはんにしかけつゝふかであふて有候はははたらくべきやうはなし
心をしづめたしかにきけ御ぶんがおやのかたきなれば心しづかにちゝにゑかうし其後くびをう
つべき也うつもうたるゝもぜんぜのがう何にうらみかのこるべきさりながらしやもんの事にて
有間せめてこてのなわをゆるしさいごのねんぶつ申させてくれよかしかつうは御ぶんがちゝのくど
くにもなるべしいかに/\といひければむねみつげにもと思ひやがてこてのなわをゆるしもつたる
太刀をかしこにおきにしにむかつて手をあはせちゝにゑかうしたりけるぜんじたばかりすまし
(七ウ)
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ちおとしのこりやつばら四方へばつとおつちらしせうねん十八才と申にははら十もんじにかき
切あしたのつゆとそきへにけるかのぜんじほうがふるまひあつはれぼんぶのわざならすと
みなかんぜぬものこそなかりけれ
四段目
其後ものゝあはれをとゞめしはそがにましますすけなり時むねが母上又は大いそのとら御ぜんにて
しよじのあはれをとゝめたりうきなつもすき秋もやう/\くれすぎ長月上じゆんの事成
にいたはしや母上は兄弟の子共の事思ひわするゝひまもなく月日のうつるもうらめしくなをも
むかしのなつかしくちうもんに出給ひそなたのそらをうちながめなみだにくれておはしますかゝる
所にたれとはしらすあま一人こきすみそめのころもにおなしいろのけさをかけもんくわいに立
よりける母上あやしく思召めのとを出しいかなる人そととい給ふ此あまめのとに近付さん候
水からは大いそのとらと申ものにて候がはつかしながらかゝるすかたと罷なり是まて参り
候事なき人の百か月のけうやう大いそにてもかたのことくいとなむべく候へ共はこねの御やま
にて有べきよし承り候へは此御ぶつじをもちやうもん申一つうのふじゆをもさゝげたく存候と
なみだと共にの給へばめのともかねてきゝし事なれ共あはれになみだすゝみしをさらぬてい
にもてなし是に御まち候へとていそぎ立入かやう/\と申ける母はもとよりしろしめされし事な
(八オ)
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の給はでなみだにかきくれ給ひけるとらも母上を見るよりもつまのおもかけのこりとゞま
るこゝちしてすゝむなみたをせきかねてたをれふしてそなきいたりおつとのわかれ子のなげき
思ひやられてあはれなれ母上なみだのひまよりもくどき事こそあはれなれかく有へしと
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すとてこゑをあげてそなくばかり母上なみだのひまよりもすけなりが有し所へいり給ひ
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給へばいまはのわかれのあかつきまで見なれし所はかわらねどまくらならべし人はなし月やあ
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ものはおもかけのうつゝとさらにわきまへすたをれふしてそなき給ふさらでたに/\秋の
ゆふべはかなしきにひとりふせやののきの月なみだにくもるおりからにおちの山ぢにしか
(八ウ)
のこゑは是もつまゆへこがるらんいとゝなみだのおゝかるに松むしすゝむしくつわむししづが
のきばのきり/\すなくねわびしきゆふまぐれにわのけしきを見給へばちくさみたれ
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しけるかいなきわすれぐさそのなはかりはよしそなきまがきにかゝるあさがほのひかけま
まつまのはかなさも思ひやられてあはれなれたのみしかいもあたしよをかごとばかり
にへんしやうの我おちにきとたわふれしさかのゝはらのおみなめしきゝやうかるかやわれも
かうこうぎくしらんはおもかれて秋のあわれをも@をせりよものこずへを見給へはしぐれに
もみちばはにしきをさらすゆふばへにむら/\はぎのさきみだれおぎのうは風そよぐにそ
いとゝ身にしむ心ちして心ほそくもやすらへばあけがたつくるむらからすのともをかたらい
なくこゑをきくにつけてもうらやましくていとゞなみだのはしとなるあれぬるやとゝは思へ共
まくらならべしむつ事のいでぬる後のわかれぢは今もうちそふこゝちしてよすがらおもひあかさ
るゝかゝる所に母上立出はや/\との給へば心ならすも立出てはこねをさしていそかるゝ
此人々の心の内ものゝあはれは是也とてみなかんせぬものこそなかりけれ
五段目
其後母上はとらをともないはこねのお山になりしかはへつとうの坊に立よりかくとあんないこひ
給ふへつとう立出たいめんありまづこなたへとしやうし給ひべつとうの給ふは御なけきのひか
(九オ)
すのあはれにて候と仰けれは母上聞召さん候かれらが百か日のついぜん御山にていとなみたく存
まいりたるよし申さるゝへつとうとらを見給ひそれなるはいづくよりのきやく人にて候やととい
給ふ母聞給ひかやう/\と仰けるべつとう聞給ひこはありかたき御心ざし御心中さつし入候
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そのきやく人の御心ざしこそことにすくれて有かたふ候なれあいかまへて是をま事のぜん
ちしきと思ひほだいしんをおこし給ふへし一ねんのずいきだにもばくたい也ましてさやうにお
もひさりま事のみちに入給へはよねんなくぎやうし給へほとけもぜんにんに六年きうし給ひて
こそほつけをはさづかり給ふなれさあらはぶつじ取おこない申さんとどうしゆくをめされそれ
/\ぶつぜんのしやうごんしそうたちをもしやうし申ちやうじゆのめん/\にもあいふるべしとげぢ
をなしまづこなたへいらせ給へとえおくのざしきに入給ふどうじゆくは承りやがてよういをしたりける
さるほどにかすの御そうあつまり給ひ御きやうおほしと申せ共ことにすくれし一せうめう
でんどうおんにどくじゆ有こそ有かたけれ五十てん/\のくりきだにも有べきにいわんやしゆ
ぢとくしゆのけちゑんなか/\申もおろか也すでに御きやう過しかばべつとかうざに
あかり給ふ時とらくわいちうより二つうのふじゆを上げ給ふへつとううけ取ついぜんのかねうち
ならしはなふさをさゝけせしゆの心ざしをのべ給ふうやまつて申ふじゆもんの事さんほうぶつ
だのちけん是に有それつら/\おもん見ればちゝいつくしみ母かなしむは人のおやのならいされば
(九ウ)
ほとけの御よろこびにもによしやういくぐわんさうじやうにんとかや今とぶらふ所の兄弟はいと
けなふしてちゝにはなれみなし子とよばれん事も口おしく母がてにそだてきうかの天のあつ
き日はあふぎの風をもよふしけんとうのさむきよはふすまをかさねて是をあたゝめそうかくの
のあげまきをかきなでゝはいつかおとなしくなりてちゝかわづか子とよはれかめいふきうに
あげん事をねがい日にそい月にかさなり思ひわつらいし事いくばくならんさればくとうすけつ
ねはおやのかたきなるによつてふじのすそのにてやすくうちおふするといへ共ついに其身もとも
に一とうのちとなりぬあゝかなしきかなや廿よねんのゆめあかつきの月とそらにかくれぬ千万だんの
うれへもゆふべのあらしひとりぎんじてくもとなり雨となるあいれんのなんだいつの時にかかわかん
あゝうらめしきかなやしやか大しのおんごんのけうげをわすれらうしやうふじやうをしるさい人共
ぜんこのそういをなげく事をやしんちよの月ほがらかにせう/゛\のちすいにうへし人もおんあいのかな
しみたへかたきはしんしけいてのみち也こうしはりきよにわかれはつきよいは子をさきだてゝまくら
にのこりしくすりをうらむさればおやの子をおもふ心さしのふかき事ちゝのおんをしゆみにたとへ
母のおんを大かいにたとへたりたいないにやとり身をくるしめ月をかさね日をおくりたん
しやうののちはわが身のとしのよるをもわきまへす子のせいじんをねがふ事よのつねならん
ゆによしやりんむしじうわくいなんによわくいぶもときく時はいかなるものか子とうまれちゝの
ために命をすていかなるものか母となりあとにのこつてひたんかうるいの思ひをなすよの
(十オ)
中は/\何にたとへんあさほらけこきゆくふねのあとのしらなみかの兄弟がちくばにむちをう
ちしをともになぐさめいくちよかけて思ひし事も是みな一かうのゆめ也あはれねがわくは三せの
しよふつの御ちかい一つうのじゆもんのくどくによつて九ほんちやうとのうてなにいたらんものなり
よつて百か日のついぜんくだんのごとしときにけんきう四年こん月こん日とよみもはて給はす
べつとう御なみだにむせび給へは母上はとかくのぜひもわきまへすたをれふしてそなき給ふ
どうしなみだをおさへとらのふじゆを取あげ給ひ大いそのとら一つうのじゆもんをあく其ふん
にいわくひそかにつたへきく一じゆのかけ一がのながれみな是たしやうのゑんいわんやるいねんまくら
をならべしいもせの中いかて一せのゑんならんさればほとけもふうふは五百しやう前くわんぎのおん
かとよろこび給へり今そがの十郎すけなり時とやいわんめいとやいわん其身ふはいにして一所
けんめいのちにもあつからすがゝたるせいざんにふしかう/\たるかいしやうをしのぎ一日あんとの
思ひをなし給はでおやのかたきすけつねを思ひのまゝにうちおふせ其身もついにふしの
すそのゝこけのつゆなはばん天にあげ給ふあゝかなしきかなやしづの身のいつのころにか松に
かゝりそめけんふじの花しはしたゆるだにうらむらさきのたかいにいろに有のいましめをおか
し又あふ事やなみだのたまのをと也あゝうらめしきかなやしやうけんの月そらにかくれみとせ
のなじみたちまちにつきてしやうらんのにほいそらたき物となれりよいあかつきのかね
をきゝてもまくらならべしほどにはにすあゝうらめしきかなや二せをかけてのむつ事はみゝ
(十ウ)
のそこにとゝまつて今きくやうに思ひなから有しすがたはゆめにだにも見へすあはれつれなか
りしはめいどくはうせんのわかれ一たびさつてふたゝびかへらすたゞおいそのもりの風のみ身に
しみてあしたにさへぎる一へんのはくうんをうらむふいんみゝにおちしよりけふ百か日にいたる迄
百千かうのなみだいつの時にかかははんあゝさてつまのしうあいひよくのちぎりこまやかにれん
りのかたらいあさからざりしもわかれてのちはいろにうつり日にそいゑんわうのふすま又もや
心にかさぬるはよのつねのならいといへ共みつからはとうしがぢよのれつにならいびせいかしばの
めいにたかはすやなぎのいとまゆずみらんじやのたもとをひきかへてこきすみそめの
ぬの衣一かうせんしゆのぎやうじやとなりあしたには一くわ一かうをくふじゆふべにはほとけの
みなおこたらすあはれねがはくはてうせのひぐわんむなしからす九ほん上せつのたいにいんぜうし
給へらいせはかならす一つはちすゑんとならんよつてたんさつくたんのごとしねんかう月ひ右に
どうじせしゆうやまつて申すとゑかうのかねうちならしべつたうをはじめ二人の人は申に及ばす
ちやうじゆのめん/\にいたるまで扨もあはれの次第とて袖をしほらぬものはなしすでにほう
じも過けれはちやうじゆの人々みなちり/\になりしかは母上とら御せんべつとうにいとまをこひ
そが大いそにかへらるゝ此人々の心のうちものゝあはれは是也とてみなかんせぬものこそなかりけれ
六段目
其後大いそのとらは山/\てら/\しゆぎやうししなのゝ国せんくはうじに一両年こもりそれ
(十一オ)
より都へ上りほうねん上人にあい奉りねんぶつのぎやうじやと也しよ国をしゆぎやうし
さすがふるさとこひしさに此ほどは大いそに立かへりかうらいしのほとりにしばのいほりを引
むすひつまのほだひをよきにとふらい給ひける心のほどこそたのもしけれ是はさておき
そかにまします母上は兄弟の子共にはなれ給ひてのち一日へんしもながらふべきこゝちは
あらね共ちからにかなはぬよのならいつながぬ月日のうつりきてはや第三年も過にける
有時母上は二のみやのあねをまねき給ひて十郎がちきりあさからざりし大いそのとらは
此もの共か百か日のぶつじの時はこねの御山にてゆきわかれそれよりしよ国しゆぎやうし
今ほどは大いそにかへりかうらいじの山のおくにおこないすまして有ときく十郎かなこりな
れはいさやとらかすみかをみんと仰ける二のみやのあねきゝ給ひない/\わらはもさやうにぞんし
候也さあらは御とも申さんとておや子うちつれそがのさとを立出てなかむらをとをりに
かうらいじの山のおくへそ入給ふかしこを見れは松の一むら有うちにしばのいほりそみへに
ける是そと思ひ立よつて見給へばかき下はつたあさがほはいかゝりしのぶまじりのわ
すれくさへうたんしば/\むなしくていとゝあはれそまさりける母上立よりしばのあみどをほと/\と
おとつれ給へはとらは立出母を一め見るよりもゆめうつゝ共わきまへすする/\と立より
あらめづらしの御わたり候やきゑにし人の二たびといひもはてすもろきは今のなみだなり
母もとらに取つきすけなりがかたみなれとばかりにてたかひのなみだせきあへすとらはな
(十一ウ)
挿絵(十二オ)
みだをおさへまづこなたへいらせ給へとてうちへしやうしたまひつゝなき人の母やあねごとおもふにそ
いとゝむかしがおもはれてなくより外の事はなし母上うちのていを見給へばしやうめんにはみたの三そん
つくゑの上にはじやうどの三ぶきやう八ぢくのみやうでんをおかれたり又かたはらに二人のいはいも
立ならべおなじく花かうそなへおかれたり二のみやのあねの給ふはあら有かたの御心さしのほと
や候かいらうのちぎりあさからすと申も今こそ思ひしられたれたゞすけなりばかりをこそ
とぶらい給ふべきにときむねまでとふらい給ふ事の有かたさよわらはゝけんざいの兄弟にて候へとも
是ほどまては思ひよらすいつれもせんぜのしゆくしうにてや候となみだにむせひ給ひける
母上仰けるは十郎が事わするゝひまも候はねばつねにもまいり御すがたをも見まいらせんと
存候へ共心にまかせぬよのならひ思ふにかいも候はすひとへにぜんぜのしゆくごうにてたかいにぜん
ちしきとなり給ひぬと思ひあまりにたつとくおほへ候へばわらはまで一つはちすのゑんをむ
すばんとこそ思ひ候なれいかにとしてごしやうのたすかるへき事の候はゝ御物がたり候べしかな
わぬまでも心にかけ申さんとなみだとともにの給へばとらきゝ給ひわらはもくはしき事は
しりまいらせす候へ共一とせ都にてほうねん上人の仰られし御ことばをあら/\御物かたり申べし
そも/\せうじのこんげんをたつね候へはたゝ一ねんのまうしうにひかれてほつしやうの都をまよひ
出三がい六道のしゆじやうとなりはんへるさればぢごくの八かん八ねつのくるしみがきとうの
くけんちくしやう三がいの思ひ其外天上の五すい人げんの八く一つとしてうけすといふ事なし
(十二ウ)
かみはうちやうてんをかきりしもこんりんぜいをきはとしていつる事なきかゆへに是をるてん
のしゆしやうと申也しかりといへ共しゆくぜんもよをしいま人げんにうまれうちにはほんうのふつ
しやう有外にはしよふつのひぐはん有などかじやうぶつなからんそれにつきしゆじやうまち
/\也といへ共われらごときのしゆじやうはしよきやうのとくにかないがたしほうねん上人七千よ
くわんのきゃうそうに入てつら/\しゆつりのようぎを見給ふにけんにつけみつにつけがいごやす
からすことに女人は五しやう三しうとてさはり有身なればそくしんじやうぶつはまつおき
けちゑんのためにれいぶつれいしやにまうする事さへかなはす有きやうもんにいわく三ぜの
しよぶつのまなこは大ぢにおちてくつる共女人しやうぶつする事なしといへり又有一きやうには
女人はぢごくのつかい也よくほとけのたねをたつ外のかほはほさつににたれ共ないしんはやしやの
ごとしととかれたりしかるにみだによらいばかりこそごくぢうあく人むだほうべんとちかいて
女人しやうぶつのぐはんをおこし給ふ也是をしんぜすして二たび三づにかへらん事あさましき事也
ゆめ/\うたがふ事なかれなむあみだぶつ/\ととなへ給へば母もあねももつ共にあら有がたの
次第とて御てをあはせとらをらいし給ひける日もせきやうにかたふけば又こそ参り申べしいとま
申候とただいにいとまこいこはれそがふるさとにかへり給へばとらもはる/\見おくりていほりにかへ
り給ひけるころはさ月げしゆんの事なるにとらは心に思ふやうつまのすけなりや時むねせう
めいくわうじんとして神にいわゝれ給ふよしきゝけれ共いまだやしろにまいらねは此たびさんけい
(十三オ)
挿絵(十三ウ)
挿絵(十四オ)
せばやと思ひつだのふくろをくびにかけうきふししげき竹のつゑうきさうあんを立出ておもひ
するがのふじのねはそなたのそらとうちながめなみだと共にいそかるゝいそぐにほとなくふじ
のすそのになりしかはやかてやしろに参りわに口てうどうちならしなむやつますけなりのそん
れい此年月水からがなんぎやうくぎやうのくとくにてさだめてじやうぶつし給ふらんま事に
神がんあきらかに水からが心をちけんし給はゞゆめになり共くどくのしるしを見せ給へとかんたん
くだき其よはつやし給ひけるやはん斗の事なるにすけなり時むね玉のかふりをいたゝきまくらかみに
立給ひとらを三とらいはいし此とし月ねんぶつ申とぶらい給ふくりきによりとそつ天に参也是ひと
ゑにふうふのちぎりふかきによつてむいしんじつのけだつのいんとなるそかし此おんどくおく/\まん
かう候もほうしがたしいとま申とてこくうにとびさり給ひけるとらはゆめさめずいきのなみだせ
きあへす其よもあけれはけふ廿八日とうしやじんじとてねぎかんぬしをはしめ人々ざゞめき
みこしをわたせはとらもよろこび心しつかにねんしゆしておはせしかすでにまつり過けれはい
よ/\そんれいにいとまこいそれよりもいほりをさしてかへらるゝそか兄弟の人々又はとら御せん
の心中しやうこも今もまつ代もためしすきなき次第とてかんせぬものこそなかりけれ
江戸通油町
山形屋利平板行
(十四ウ)


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