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すみだ川

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校正

翻刻にあたり、横山重編『説経正本集第三巻』(大学堂書店、昭和四十三年)所収の赤木文庫蔵本(底本と同一、以下【説】)本文と比較対照した。
(一オ・13行目)【底】@@—【説】三郎
(一オ・13-14行目)【底】@じやり—【説】あじやり
(一オ・14-15行目)【底】@こん—【説】りこん
(一オ・15行目)【底】う@—【説】うら
(一オ・15行目)【底】まいらすして—【説】まいらす
(九オ・1行目)【底】給ふ—【説】給ひ
(七ウ・17行目)【底】@—【説】迄
(十オ・15行目)【底】念@—【説】念仏
(十オ・16行目)【底】そ@—【説】そ

翻刻

すみだ川
初段
その後つら/\おもん見るに本朝七十三世ほり川のゐんの御宇かとよ都北白川に
吉田のせう/\是さだとてかうけ一人おはします然るに是さだうちには五かいをたもち外に
はじんぎを本とししいかくわんげん七げい六のふくらからす其なのほまれ世にたかし御子二人もち
給ふちやくなんをば梅若丸とて十一才に成給ふ次は松若どのとて九つになり給ふいづれも
すがたは花ににて事のは事になくつゆのいたゐけしたる御有様ぶものてうあいかぎりなし
有時これさだ北のかたをちかづけていかにみだひ聞給へつく/\ものをあんするに一生はかぜの
まへのくもにおなじ命は石の火のごとく也二人の子共の其中を一人出家になしなからんあとの
ぼだいをもとふらはれんと思ふ也みだひいかにとの給へは尤の仰にて候去ながら梅若は総領
なれば吉田のいゑをつかせ申べし松若なんしいまだにやくなればがくもんせさせんそのために山寺
にのぼすぞかしせんだんは二ばよりかんばししよきにがくもんきはめ吉田のいへのなを上よ山だの
@@やすちかを御かいしやくに付給ふ山田御供仕りゑいさんにぞ御寺になれば日行@
しやりの一の御弟子に成給ひ日やてうぼおこたらずがくもんなされける程に本より@
こんそうめいにてそのとしのくれほどにないげのさたにくらからずされは大しのけしんとてう@
山ざるはなかりけりされば松若殿しよがく当山にかくれなくがまんの心出きたるが仏神の
(一オ)
挿絵(一ウ)
挿絵(二オ)
とがめかやいづく共しらず山ぶし一人きたりいかに松若さぞやちうやのがくもんに心つかれた
まふらんわかすみかへ来り心なぐさみ給へとてそのまゝつかんでこくうをさしてぞあがり
けるをの/\おどろきとり/\のせんぎし給へ共もとよりくひんの事なれはその行方は
さらになしあじやり大きにおどろき給ひいかがはせんとの給へはやすちか申やうまつそれ
がしは吉田にかへり此由かたり申さんとあじやりのぼうにいとまをこひ北しらかわにかへり
つゝ御まへにまいり山にての次第をかたりける少将もみたひ所も是は何事ぞとわつ
とさけばせ給ひけるやゝ有て少将殿御泪のひまよりも定まるがうとはいゝながら兼
て夢ほどしるならば何しに山へのぼすべしいとをしの松若やうらめしのうき世やとくど
きたてゝぞなき給ふあはれ成かなこれ定殿おりふし此比はかぜの心ちとの給ひしが此事
聞しめさるゝよりしよくしを更にまいらすして次第/\によはらせ給ふみだひ所や梅わかどの
あとや枕に立ちよりて色/\かんびやうし給へ共ぢやうごうかぎりのいれひかやおもりこそすれ
げんもなし今をかぎりと見へし時しやてい松井源五定かげ郎等にあはづの六郎としかぬ山
田の三郎やすちかを召れいかにかた/\某はしやばのゑんつきはてゝ今めいどにおもむき
候梅わかいまだやうち也十五にならばさんだいさせよしだのいへをつがせてたべそれ迄は定
かげにたのみ置二人の郎等さたかげと心を合若をもりたてゝゑさせよやいかにむめ
若ちゝがうきよになきとても母にかう/\いたしおとなしく吉田のいへのなを上よい
(二ウ)
とま申て北のかたなごりをしのむめ若とさも口上に念仏してあしたのつゆときゑ
給ふみたひ所も若君も是は/\と斗にてりうていこがれてなき給ふ北の御かたく
とき事こそあはれなれはかなやな此とのとみのゝ国のかどにてなれそめしより此かたは
つかのまもはなれぬ身のめいとのたびとてすご/\とさぞやさびしくおぼすらん水
からもつれて行給へといだき付てぞなき給ふされ共かなはぬ道なればなみだながら御しが
いのべにおくらせ給ひつゝむじやうのけふりとなし給ひのべより御下向なされて御とふらいはかぎり
なし若君のわかれにつまのなげきかさ也一かたならぬ御なげきみたひ若君の心の内あはれ共
中/\申斗はなかりけり
二たんめ
▲其後みたひ所や若君は是さた殿の御しがいのへにおくらせ給ひつゝよきにぼだひを
とい給ふきのふけふとは申せとも月日にせきもりすへざれは三とせになるは程もなし梅わか
殿も今ははや十三に成給ふ父これ定の御ぼだいを明くれとふらい給ひける心の内こそしゆせ
う也是は扨置松井の源五さだかけはつく/\ものをあんずるに梅若十五に成ならばつぎめ
のさんだいさすべしかかれにしたがいくちはてんも口をしやしよせん梅若をうしなひ吉田のいへ
をつぎゑいぐわにさかへんとたくむ事こそおそろしけれ松若殿の郎等に山田の三郎をち
かづけていかにやすちか殿御身をたのまんしたい有たのまれ給はゝかたるべし山田聞てなに
事にても承らんと申ける定かけ悦びべつのしたいで更になし梅わかをうしない吉田の家
(三オ)
をわがもつて山田殿にもくわぶんのおんしやうまいらせん山田殿とそ申さるゝやすちか聞てお
と高し/\それかし一身仕らばたれにかおそれ申べし若君の郎等あはづの六郎としかぬ本より
大しゆの事なれはさけをさま/\にすゝめ事のしさいをかたりつゝそれにせういんなきならば
じこくをうつさすうつてすてんはなんのしさいか候べきと申けれは定かげ聞てさあらば
御へんはかへられよそれかしはからい申さんとしゆ/゛\のさかなをとゝのへて六郎に使たつとしかぬいそ
きまいり定かけにたいめんすとかうの次第をいわずしてしゆをさま/゛\にすめつゝあたり
の人をおいのけてかやう/\のくわたて成が同心あれと申さるゝとしかぬ聞てはつと思ひしがさら
ぬていにもてなしあらはづかしや某が心を引見給ふかと申ける定かけ聞てなふなにしにいつ
はり申へき山田殿も同心にてたゝ今かへり給ふぞや引合申さんかとしかぬきいてひざをしな
をしなふさだかげ殿むめ若どのは御身のおいにてはなきか比としかぬはさやうの事を聞
もむやく也と太刀ひんぬいてうたんとすさたかげは命かぎりににけにけるとしかぬおつかけう
たんかまてしばし山田めがうしろ切すべしまづみたひ所やわかきみに此事しらせ申さんと
いそきやかたにかへりけり御まへにまいりとしかぬなみたをなかし松井の源五殿山田
の三郎心を合若君をうしないたてまつりよし田のいゑをつかんとのたくみにて我等
にも同心せよと申されしをさしきをけたてまいりたりさためて夜うちにまいるべし御やう
いあれとぞ大いきついで申けるみたひ若君聞しめしこはそもいかなる事やとてきゑ入
(三ウ)
やうになき給ふとしかぬ見まいらせ心よはくてかなふましと先みたひ所をおとし申さ
んとて御とも申西坂もとおぢ太夫をたのみよきにしのはせ奉りそれより取てか
ゑしさふらい中けん百人はかりおの/\心を合せよするかたきまちいたり是はさて置
さたかげはとしかぬにおとされていまたふるひはやまざりけりやすちかをよび出しかやう
/\の次第也いかゝはせんと申さるれは山田きいてじこくうつしてかなはしとそのせい三百余
き北白川におしよせときの声をぞ上にける城のうちにはかねてやういの事なれはとしか
ぬ矢くらにかけあがりなによせきたるは定かけと覚へたりむやうのいくさせんよりもそ
のぢん引とぞ申けるそのときよせてのちんよりもむしや一きすゝみ出大おん上て
なのるやう只今爰元へすゝみ出たる兵をいかなるものとか思ふらんさたかけの郎等
に兵ごの介とはそれかし也侍はわたりものかうさんせよと申けるとしかぬ聞ておのれは三代
そうの君をわすれ弓ひくはやかんとやいふべきかうけてみよといふまゝによつ引てひや
うどいたむざんやな兵ごの介がむないたにはつしとたちあしたのつゆとぞきへにける是
をいくさのはしめとしかたき身かたが入みだれいくさははなをぞちらしけるさすがよせて
は大ぜい身かたははやこと/\くうたれける若君にまいりいそぎおちさせ給へと申ける
若きみ聞召かまへてなんぢ腹きるなはやくきたれとの給ひてあはつの三郎御供
にてうらの御もんにいで給ふとしかぬ矢くらにあかりいかによせてのやつはらなりをし
(四オ)
挿絵(四ウ)
挿絵(五オ)
づめてたしかにきけ君も御はら切給ふかうなるものゝ腹きるをてほんにせ
よといふまゝによろひの上おびきつてすてそら腹切てうらのもんよりおちけるを
大せいおりあいからめ取としかぬか心中むねん成共なか/\申斗はなかりけり
三たんめ
▲あらむざんやとしかぬにいましめのなはをかけ定かけのまへに引出すさだかけ見
給ひていかにとしかぬわれに同心有ならばかやうのざいくわはよもあらしさてむめわかは
はてたるか又はおとして有けるかまつすくに申へしいかに/\と有けれはとしかぬ聞てやあ
定かげおのれは君の御をんをわすれかやうのあくぎやくつくるかやゐんくわはたちまちむ
くふべしとそ申けるさだかけ大きにはらを立てとかくしにぐるひとみへて有はやくいとまをとら
せようけ給はつて候とて白川おもてに引出しかうべをはねごくもんにぞかけにける
札のおもてには此ものあく心をたくむによつてかくのことくおこのふもの也と書けるはなさけ
なふこそ聞へけれさだかげくびじつけんに出らるゝふしぎや此くびまなこをひらきいかにさだ
かげ我あくしんにあらぬ身をかくふだにかきけるか三とせの内におのれらをかやうに
せんといふよりはやくくびは天にぞ上りける定かげふるひ/\やかたにかへりけるこれはさて置
むめ若殿あわづの二郎を御ともにて西坂もとを心がけ山ちをさしておち給ふくら
さはくらし道見へず山ぢにまよひ給ひしがほの/゛\とあけかたにらうどうかぜの心ち
(五ウ)
とうちみへてゆくもゆかれず木のねにたをれふしいまをかきりと見へにける梅
若御らんしていかにとしみつなんぢが父のとしかぬはあら人神といわれし者の子がかく
あさましく見ゆるかや母うへの御ざ有所までなにとぞしてつれゆけよなんぢむなし
く成ならばむめ若なにと成へきぞとりうていこがれてなき給ふすでに五かうの
天もひらくればたにゝさがりし水をもとめたもとにふくませ給ひたによりみねはは
るかにてしゝ道にふみまよひかなたこなたとなさるゝがかゝりける所へあふしうの人
あき人きたりいかに若との我どうしん申さんと梅若殿を引立ておん国さしてい
そきける心の内こそあはれなれとしみつはかつはとおきて見てあれはわか君はましまさす
さては坂本へ行給ふかと坂もとさしてぞいそきけるみたひ所は御らんしていかにとし光むめわか
丸はととい給ふとしみつ承りさん候それかし白川より御とも申まいるときすこしいれひを
うけまどろみしおりふし若君を見うしない候もししゝ道にふみまよはせ給ふかやたつね
申さんと御まへを罷立山/\たに/\たつぬれ共その行かたは更になしとしみつおもふやう
此まゝかへるものならは母子様さぞや御うらみふかゝるへしいつく迄もたつねんとしよ国
しゆ行に出にける心のうちこそあはれなれことにあはれをとゝめしは若君にてとゝめた
りあき人とうちつれて大つうちでのはまよりもせたのはしを打わたりあつまちさし
ていそがるゝ君は御らんして是はいづくへ行給ふ山本にはとし光をのこしをく西坂もと
(六オ)
挿絵(六ウ)
挿絵(七オ)
ゑはつれてゆかせ給はぬかやあき人聞てこさかしきわつはかなはやくいそげと引た
つるわかきみ聞召扨はなんちは人かとはかしよな中/\思ひもよらぬ次第とてこしのかた
なにてをかけ給へはあき人取てふせ頓てかたなをうばい取さん/\にちやうちやくす
いたはしや若君は大のおとこにうちふせられやあいかにあき人われはみやこの者成
ぞあつまへつれてゆかんより都へつれてかへれかしひらにゆるせあき人とりうていこかれた
まひけるあき人聞てくちのくうせう成わつはめとさん/\にうち引たてあゆめ/\と
せめけるはあほうらせつがざい人をかしやくせしも是にはいかでまさるべきやう/\いそけ
は程もなくすみた川に着給ふいたはしや若君はならはぬたびといひつゑにはつよくあて
られ御足もきれそんじあけのちしほとなりにけり今ははや一あしもひかれねは川ぎしにた
をれふしてぞおはしますあき人みて何とてあゆまぬぞいそけ/\と引たつるいたはしや若
君はゆんでにかつはとふし給ふさけぶにこゑも出ざりけりあき人いよ/\腹をたて命もう
せよと打ふせあき人あつまへくたりしはなさけなふこそ聞へけれかゝるあはれのおりふしざ
いしよの人々あつまりて若君を見まいらせよし有人と覚へたりいづくの人にて候ぞやなの
らせ給へと申ける梅若聞召よにくるしげなるいきをつきなさけ有人々かな今は何を
かつゝむべき都北白川吉田のせう/\是さだのちやくしむめわか丸とはそれかし也人あき人
にかどはされかやうに成はて候ぞや都にまします母うへのさぞやなげかせ給ふらんよし/\
(七ウ)
それは力なしむめ若むなしく成ならは道のほとりにつかをつきしるしにやなぎをう
ゑ給ひ高札立て給はれやあゝなつかしの母上様と是をさいごのことばにて年は十
三三月十五日にあしたのつゆときへ給ふむめ若丸の御さいこあはれなり共中/\申は
かりはなかりけり
四たんめ
▲是はさて置ざい所の人々御ゆいこんにまかせ道のほとりにつかをつきしるしにやなきをうへ置
大念仏を申よきにぼだいをとい給ふ三月十五日にはしよ人おほくまいるとかや爰にじやけんを
とゞめしはみたひ所の御宿ごんの太夫てとゝめたりかれはとしかぬかおぢ成が夜すからものをあん
するにこれ定殿の御をんふかくかうふるとはいへともはるははなあきはもみちを取てあそぶ事
なれはたのみすくなきみたひすはおい出さんと思ひておもてに出いかにみだひ様定て白川より打て
参らんはぢてう也よあけて御出候はゝ人の口もおそろしやこよひのうちにはや/\御出候へとなさけな
くもおひいだす頼木のもとに雨もたまらぬとは爰のたとへを申らんとなく/\出させた
まひける女ほうあまりのいたはしさに御さか迄おつかけなふいかにみだひさま水からが心はかはら
ぬ也ときへ入様になきにけるみたひ所は御らんして御身いつ所にてあらずはと又さめ/\とぞな
き給ふ女はう御てを取申せき山しなをはや過て日の岡たうけまで御供申是より都へほど
ちかし若君様の御行へたつねさせ給へとてさらは/\のいとまごいなこりをしさはかぎりなしいたはし
やみだひ様みやこの内はのこりなくだいこ高をやせおはらさがにんわし@たづぬれ共其行
(八オ)
方はさらになしかゝりける所に五人つれたるきやくそうたちに行あひ給ふわがむめ若が行
ゑは御らんしなきかととい給へはきやくそうたちは聞召それはいつの事にて候ぞや母聞しめし去
年二月のすへつかたにて見うしなひ候となみだながらの給へはきやく僧たちは聞召あふそのころ
大津三井寺へんにてとう国の人かいと見へし者あづまへつれてとをりしがその若子にて候はゝ
あつまのかたへたつね給へとかたりすてゝぞとをりける母上は聞召さてはあつまへうられけるか
あらなさけなの次第とてたをれふしてぞなき給ふおつるなみたのひまよりもくどき事こそあは
れ也それ人間のならいにてあまた子をもつたにもいつれにわくる心なし我はあまたもなでし
この二人の子共を行かたしらす見うしなふ母はなにとか成べきそあらなさけなやあつまへ
尋出んか水から年よりたりけれといとなまめいたる事なればきやうぢよになつて出んとてとある
所に立よりたびのしやうぞくなされけるいたはしやみだひ所ははやしやうそくをなされけるかみを
四方へふりみだしさゝのはにしできりかけてふりかたけしんによの月はくもらねどきやう女と
や人のいふらん是もたれゆへ我子のためと思へばうらみは更になかりけり八重ひとへゆゑこゝ
のゑを立出て四条五でうのはしのうへわうじやうのきもんにあたりひゑい山是成はやし
はぎをん殿ぎおんばやしのむらからすうかれ心かうば玉のはや立出るみねのくもみの
りの花もひらくらんやかて我子にあはた口聞さへこゝにたのもしや大坂のせきの明神ふし
おがみてうちでのはまにさそはるゝ三井寺をたつねんとしよやよりこやの一天迄御経の声は
(八ウ)
有かたやしゆろうだうを打見あげ此かねのとく/\と浪にひゞきていそぢどりされ松本を
はや過てなをも思ひはせたのからはしをとんどろとゞろと打わたり世をうへのゝになくつるは
子を思ふかとあはれ也此下つゆに袖ぬれてすそに玉ちるしのはらや見てこそとをれかか
かみ山御代はめでたきむさの宿ゑち川わたれは千鳥たつおのゝしゆくとよすりはり
たうげのほそ道泪と共にいそがるゝねぬよの夢はさめがいのねものかたりはや過て
みの国に聞へたるの上の宿に付給ふいたはしや母上様それ人間は古郷へはにしきをきてかへるほ
んもん有我は又子ゆへのやみにまよひかくあさましき姿にてこきやうを見るぞ情けなやそ
れ三かいのどくそん八さうしやうどし給ひししやかむにによらいも子にまよいのおやのや
み又かりていほといつし人千人の子を持しが独りにわかれの時みなにわかるゝなげき有それ人間は
あまたの子をもつたにもいつれにわくる心なく我はあまたもなでしこの二人の子共をみ
うしなひ母は又何と成世の一つ松なふ世の中に/\神や仏は御ざなきか今生にて今一度
わが子の梅若にめぐり合てたひ給へとふかくきせいをかけ四方らいし給ひては又きへ入てなき
給ふみのならは花もさきなんぐんぜ川なつはあつたの宮とかやなみたの露はおかさきのやう
/\今は浪のつゝみ竹のさゝらざゝんざはま松かぜはふくろいの神にいのりをかなやの宿うきめ
をながせ大井川嶋田ふぢゑだはや過て尋てきけばまりこ川みをの松原せいけんしなふ我
子の梅若を夢に也共三嶋宿あしがらはこね打過てはづかしながらすかたをはさがみの
(九オ)
国に聞へたるおいそときけばよしなやなはやふぢ沢に付給ふかたひら宿をきてみれは
今はなつかと覚へたり秋には頓てなどかやのわたりかねたるかな川しゆくかわさきに六がう
のはし世の中のあしき事をもしな川やゑんり江戸むさしと下をさのさかいなるすみだ
川に付給ひこゝやかしこにたゝずみ給ふみたひ所の御有様はかなかりとも中/\申斗
はなかりけり
五たんめ
▲いたはしや母上様むめ若丸の行へをはたつねかねつゝ今ははやむさし下総のさかいなる
すみた川に付給ふ出る舟有なふ舟人水からも舟にのせてたひ給へ舟人聞てこと
ばをきけば都人すがたを見れはきやう人也おもしろくくるはれよさなくはふねにのせぬ
と言みたひ聞召なふいかにわたしもりたとへあづまのはて也共名所にすまば心あれ
もはや水にうつらふ月を見給へ風こそなみをさへぎれしんによの月はくもらぬものを
くるへといゑる人ぞうき馬にものらぬ此きやう女つかれはてゝさぶらふぞや爰は名所の
わたしもりわらはこそ心なくてさはぐ共日のくるゝに舟にのれとはいわずしてくるへと云はいなか
人心ぞつらき去とては舟こそのりてせばく共のせさせ給へ舟人よさりとてはわたし守舟人
聞てあふあやまりたり狂女なにしあふたるやさしさよなにかをしまんのり給へとふねさしよせ
てのせけれはきやう女はふねにのりうつりむかいのかたをみはたせば川ぎしの木のもとに人おゝ
くなみいたり母は御らんしなふいかにわたしもりあのおほくあつまるは我を待うけくるは
(九ウ)
せんためかなふ舟人聞てあれは大念仏にて候ま事に此ふねにしらぬ人のおゝかるべし此ふ
ねのむかいへつかぬまにあの大ねんぶつのいわれをかたり申べしよく聞給へ人々たち去年三月
十五日しかもけふにあたりて候年のころは十二三のおさなき人もつてのほかのいれひして此
きしにひれふし候を当所の人々立よりさま/\いたはり申せともたんだよはりによはりはて今を
さいこと見へしとき御身はいつくいかなる人そとい申せばそのときおさなき人くるしけなるいき
をつき我は是都北白川よし田の何がしむめわか丸とはそれかし也人あき人にかどはされかやうの
すがたと罷成みやこに母一人御ざ有が梅若が事とふ人あらはわが身の成ゆく有様をかたり
つたへてたび給へ道のほとりにつかをつきしるしに柳をうへさせて高札立て給はれとおとなし
やかに念仏申ついにはかなく成給ふ船中にも都人も有げに候ぎやくゑんながら念仏申させ給へ
なふ人々よしなきものかたりに舟が付て候御あがり候へと申せばさて/\ふびんやきやくゑんながら
念仏申さんとおの/\舟よりあがらるゝいたはしや母上はふねよりも上らずふねばたにひれふしてなくより外
の事はなし舟人是をみてやさしの狂女や今の物かたりに左様になみたをながすかやあいそひで
舟より上られよ母こはおもてをふり上いかに舟人只今の物がたりはいつの事にて候ぞやせんぞはい
かにととい給ふ舟人聞てよしだの何がし梅若丸と申ける狂女も都人ならば急きふねより上て
念@申されよいたはしや母上様此物かたりを聞召なふ舟人しんるいとてもおやとても尋こぬこそ
ことはりよそ@子が母は水からときへ入様になき給ふゆきゝの人もげに道り也事はりとてそで
(十オ)
挿絵(十ウ)
挿絵(十一オ)
をぬらさぬ人はなし舟人なみたをおさへ今迄はよそのなげきと思ひしに御身の上にて
候かいまはかへらぬ事なれは御あととふらい給へとすゝめ申せは母うへなく/\舟より上らせ給ひ
つゝつかのもとにひれふしてくどき事こそあはれ也いかに梅若御身にあはんそのために是迄はる
/\くだりて有今は此世になき跡のしるし斗を見る事よあゝむざんやしのゑんとてしやうじよ
をさつてあづま地の道のほとりの土と也此つかのしたにわが子やあらん此世のすがたを今一度
母に見せて給はれやあゝたのみなのうきよのやとこゑを上てぞなき給ふざい所の人々これ
を聞とにかくに念仏申させ給へまうじやも悦ひ給ふへしとしようごを母にまいらせ念仏
をすゝむれは母はやう/\おき上りぎやくゑんながら去とてはわが子のためと聞からにしやう
ごをとめ給ひなふ人々おさなき者のこゑとして念仏の聞へしはまさしくつかの内と覚へたり
なを/\念仏申てたべとの給へは在所の人々是を聞しよせん此方のねんふつをやめ母斗申さ
せ給へ母はげにもと思召重てせうごを打ならしなむあみだ仏と申さるれはつかの内よりおさ
なき人のこゑとして念仏ともろ共に印の柳のかげよりもうつゝの子あらはるゝ母はあまり
のうれしさにしやうごしもくをからりとすていだきつかんとし給へはそのまゝきへて跡も
なし又まほろしに見へけるをあれはわが子か母うへかと一度にこゑをかはせ共かげろふいなつ
ま水の月とらんとすれは見ゑつかくれつはやしのゝめもあけ行ば柳はかりぞ残りける
(十一ウ)
母はあまりのものうさに柳にひしといだき付此よのなこりに今一度すかたを見せよ
やれむめ若よ/\とつかの上にたをれふし我をもつれて行とぞなき給へはその中に僧
一人すゝみ出御なげきは事はりなれ共御ぼだいをとふらひ給へとよきにいたはり申さるゝ母は
なみだをとめ御僧のきやうけ有がたや今はなげくとかなふましごせとふらふてゑさせん
にすがたをかへて給はれのやすき間の御事とてつかのもとにてはなの御ぐしそりこぼしそのな
をめうきびくにと申あさぢが原にしばのいほりを引むすび花をつみがうをもり念仏
申おはせしかあさぢがはらのいけ有にかけのうつるを御らんして此れこそかう経ゑんとんのさとりぞと只
一すしに思ひ切西に向ひかたぶく月をみていざや我もつれんとかみのいけに身をなけつゐに
むなしく成給ふかの母うへのさいこのていあはれなり共中/\申斗はなかりけり
六だんめ
さる程にあはづの二郎としみつは四国九国を尋れどその行がたは更になし大つのうらを
たづねんとがうしうさしてそいそきけるしの宮かはらを通りしが定かけが郎等山田の三郎小鳥が
りしてゐたりけるとしみつきつと見て天のあたへと悦ひいそき谷にとんでおり山田がほそくび打お
とす郎等共のがさしとおつかくるあやうかりけるおりふし山ぶし一人来りとし光をつかんでこくうを
さしてとびさりぬさがみの国に聞へたる大山ふどうにおろし置われは四国よりのつかはしぞ此神
にきせいかけよとけすがごとくにうせにけるとし光御跡ふしおがみ梅若の生死をあらはし給へ
(十二オ)
さなくはとし光が一めいとらせ給へと初七日はそくざをさらす立行二七日は水行三七日はたん
じき也ふしぎや三七日の明がたにさんか草木しんとうしあたご山には太郎坊さぬきにごん平大
みねぜんきが一とう天てんぐに天く松若殿をつれ来りいかにとし光なんぢ主にかう有者な
れは松若をかへす也母も梅若もむさしと下をさのさかいなるすみた川にてむなしくなり
けるぞ松若が行すへなをも守るべしとぐひんは天上なされけるいたはしや松若殿初おはり
を聞召きへ入様になき給ふとし光申けるはまつ/\都へ上り日行あしやりを頼みかどへさんだい仕
松井の源五を打取其後御ぼだいをとい給へ若君聞召此ぎ尤然へしとてとし光御供にて
都をさしてぞ都になれは日行にたいめん有かやう/\とかたらせ給へは日行聞召衣の袖をしぼ
らるゝさあらばさんだい申さんとつれてみかどへさんだい有一々次第にそうもんすおくよりのせんしにはな
か/\のらう人さぞやむねんと思ふらん此度のほうびとて四ゐのしう是ただににんし其上下おさ
を下さるゝ松井の源五たいぢ仕れとくつきやうの兵五百よきくたさるゝ忝とて御前を罷立
とし光大将にて北白川へおしよせ時の声をぞ上にける定かげおどろき山道さしておち行を
やがてからめ取くび打おとしすてにける其後あまたの供人引ぐして下総さしてぞ国にもなれ
ばふもの御為梅若殿の御ぼだいよきにとふらい給ひかずのやかたを立ならべゑいくわにさ
かへおはしますめでたさよ共中/\申斗はなかりけり
右者太夫直之正本也
大伝馬三町目
うろこかたや孫兵衛
(十二ウ)


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