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中将姫御本地

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校正

翻刻にあたり、横山重編『説経正本集第三』(角川書店、昭和四十三年)所収の赤木文庫蔵本(底本と同一、以下【説】)本文と比較対照した。
(十一オ・10-11行目) 申上て給はれとふかくたのませ給ひける承候とていそき行にまいりつゝ大臣の御前にて此よし— 【説】(無し)
(十三オ・17行目〜十三ウ・1行目) @@@@@@@— 【説】れば御寺に有し

翻刻

中将姫御本地
初段
さる間和州もちだのこほりたへまのまんだらのゆらいをくわしく尋るにじんむ天わうより四十七
はいたい天王の御宇に大しよくわんに四世のそんよこはぎの右大臣と申奉るをなんばの大じん
とぞ申ける然にとよ成御子一人おはします御名をば中将ひめと申て十三に成給ふ御すがたいつくしく
秋の月にことならず御かほばせははるの花つゆをふくめる御ありさまひすいのかんざしあをふしてたけな
かくあいきやうのまなじりたんくわのくちびるあさやかにゑめるはぐきにあいあればたゞなつのせみのはを七
重かさねたことく也かつらのまゆずみたをやかにあたりもかゝやく御ふぜひ聞人ことにおしなべて恋せぬ者は
なかりけりしかれども中将姫ちぶさの母に過をくれさせ給ひけりとよ成ふびんにをぼし召今
のみだいにゑんをむすばせ給ひけりさればひめぎみ少もへだてましまさずけいぼのめいに
したがひてよきにかう/\ましませばけいぼの母上もそこの心はしらね共上にはひめ君に御いと
をしみをたれ給ふとよ成なのめならずしてあかしくらさせ給ひけり是はさて置みかどにはなんばの大臣を召れ
つゝない/\中将姫を聞召およばれたりとしのくれかあくる春はあきの宮に置給はんとのせんじ有とよ
成畏て御前を罷立やかたにかへらせ給ひて御悦はかぎりなしされども一つのなんぎ有むかしよりけいし
けい母の中よきことのあらざればみだい所の御心たちまちに入かはりいかにもしてひめ君をうしなはん
とたくまれける心のうちこそおそろしけれ我にしたしき若者をひそかに近付なんぢはかんむり
かたぎぬにてあさなゆふな中将ひめが方へ出入せよと仰ける畏ると申てつね/\出入したりけり
(一オ)
挿絵(一ウ)
挿絵(二オ)
さてそのゝちに当みだい大臣とのに近付いかにかたらば聞召承ればひめの方へあやしきものゝかよふよし申ならはし
候ぞや誠に女の身ほどあさましきことなけれとてまづそらなきをなされけるとよ成聞召いまだよう
せうのものなればなにとてさやうに有べきそそれは人のいつわりならんとのたまへばみだい所の給ふやうわれも
さやうにおもへどもさりながらことのていをものかげより見給ふべしとの給へばとよ成は思はずもみだいと打つれ
出給ふはひめぎみのうんのきはめとと聞へける中将姫のおはします御ざ近く成しかば年の比は十七八と
うち見へていくわんたゞしき若ものしのびがほにて出にけりとよ成此よし御らんじてこしの刀に手を
かけとびかゝらんとし給ふかまてしばしわが心きやつをちうするものならばかへつてわか身のちじよくと
思召時ならぬかほにもみぢをちらしなにともものをの給はで有し所へ立かへりあまりの腹にすへ
かねて竹岡の八郎つね春を召れいかにつね春中将姫を引立ひばり山へつれ行うしなへとぞ仰ける
つね春承是はいかほどの御とがまし/\てかくは御でうの候ぞやおほそれながらそれがしに御あづけ候へとつつしんで
ぞ申けるとよ成聞召思ふしさいの有間はや/\いそげと仰けるつね春重て申様何と仰候共此ぎにお
ひてはひとまつあづかり奉らんと泪と共に申ける大臣きしよくを引かへわれおやの身をして子をうしなはん
といふ事ふかきとがと思ふべし汝せうゐんせすんは中将姫もろ共にかんどう也との給ひて御ざをたゝせ給ひ
けり「あはれ成かなつね春は御前を罷立まづかたはらに立よりてくどきことこそ哀さよせましき物はみや使
われほうこうの身ならすはかゝるおもひの有べきかなにかきあつめしもしほくさしんたいこゝにきはまりてせひを
も更にわきまへずされどもかなはぬことなれば泪と共につね春はみだい所へまいりつゝ女ばう達を近付ひめ
君の御ことをいまだしろし召れずや君の御きしよくあしく思ていそぎうしない奉れと仰付られ候ぞやいかにもし
(二ウ)
て此ことを申なだめ給はれと経はるが来るよし申上られ給はれと泪と共にぞ申ける女ばうたちうけ給はり此よし申上けれ
ば北の方の給ふはつね春が申さず共我もさやうにおもへ共よのつねならぬことゝ聞たゝ/\とよ成の御心にまかせよ
とあいさうなげにぞ仰けるつぼねかへりてかくといふつね春重て申やう尤にては候へどもたゞ一たんの御きしよくその上
また御やうせうのことなればいか程のとがの候べしかつうは御子にてましませばかなはぬ迄もも今一度御なだめ候はゝ
みだひの御ためも然るべきにて候へばりをまげて此事を御申なだめあれかしと重て申上ければみだひ所は
きしよくをかへでい迄出させ給ひつゝいかにつね春御身はいましらざるかよのつねのとならす姫の方へかよふ
ものいく人ともかぎりなし日々のとなればそれをいかで水からがなだめ候べき重てばし申さそあらむつかしやと
の給ひてれん中さしてぞ入給ふつねはるめんぼくなくあきれはていたりしがつく/\あんじけるやうは是はひとへに当
みだひなさぬ中にてましませばたばかりことゝ覚へたりたとへばさやうに有とてもちぶさのはゝにてましまさば申
なだめ給はんになさぬ中のあさましやとひとりくどきなきいたりこぼるゝ泪のひまよりもとかくひめ君をわがたち
にうつし奉りいくたびも申わけ仕らんそれにせうゐんなきならば腹切てしなんにはなんのしさひのあるべきと
あんじすましてかへりけるかの八郎が心のうちたのもしき共中/\申斗はなかりけり
二たんめ
去間つね春はいかにもしてひめぎみをたすけんとはをもへどもけんしのつくに定まればおもふにかいはなかりけり
つね春心に思ふ様此上は力なし御くびを給はりとよ成に見せ申そのゝち某とんせいして御ぼだひをとふらはんと思ひ定て
けんしをこひ姫君の御供してひばり山へといそぎけるげにやかういん矢のごとしひつちのあゆみをまつににたりほど
なく山にもなりぬればある谷川のかたほとりにひめぎみをおろし奉るあはれ也かなひめ君は御こしよりも出
給ひいかにつね春かゝるさびしき山中になにとてつれて来れるぞふしぎさよとぞ仰けるつね春よしを承
(三オ)
挿絵(三ウ)
挿絵(四オ)
なにとも物をいわずして泪にくれてぞいたりけるひめ君は御らんじて心元なやつね春よなにとて物を申さぬぞや
いかに/\との給へばつね春なみだをおしとゞめ今はなにをかつゝむべき父大臣の仰にて君をうしない申さんため
是迄ぐそくし候と泪と共にぞ申けるひめ君ゆめ共わきまへずそれは誠かかなしやときへ入やうにぞなき給ふ
をつる泪のひまよりもくどきことこそあはれなれ母にはななれて此かたへんしかその内もわするゝことのあらされば
心なぐさむこともなし今つね春が水からを是迄ぐしつれ来りしもなぐさめんためかと思ひしにおもひの外に引
かへて水からをちうせよとやこれはけいぼのわざ成かあらなさえなの次第とてもだへこがれて泣給ふ御泪を
おしとめやあいかにつね春水からぜんぜのしやくごうにて汝がてにかゝらん事命にをいてはつゆちり程もおしからねど親
のふけうをゑしものは月日の光にもかゝらずとこそ承はれなにとして水からは父にて候人にはすてられ申ぞやよしそれ
とても力なし我七才の時よりも母上の御ために毎日御経六くわんつゝどくじゆ申候べしがけふはいまだとくじゆ
せずさいごなれば今一度のみ奉らんにへんしのいとまをゑさせよと泪と共にの給はばつね春承もつたいなしひめ
君さま御さいごのことなればいつにかはり只今は御心しづかにどくじゆあれとぞ申ける中将ひめ聞召御なみだともろ
共にしきがはのうへにおしなをり右の御たもとよりじやうど経を取出しさら/\とをしひらきかれうびんなる御聲
にてどくじゆ有こそしゆせうなれされどもひめ君父大臣に御なごりやおしかりけんひとへにおつる泪ふる雨に
ことならずいたはしやひめ君あまり御心のやるかたなさにやう/\御経三ぐわんよませ給ひつゝ一くわんは母のため又
一くわんは父の大臣どのげんとう二世の御ため今一くわんは水からりんじうの正ねんにて九ほんの浄土にむかへと
らせ給へとなく/\ゑかうをあそばされいかにつね春水から死ての其後にかまいて/\跡のはちばしあらわすなよく
よくかくし申べし又水からがくびを取父の御めにかけんとき我かほにつきたるちをよく/\あらひて御めにかけよ
(四ウ)
かならずいのちをおしみたるとな申そよいかにもさいごはよかりけるとかたるべし水から心のゆかん程は念仏を申
さんに十ねんおはらばくびをとれとたけ成御ぐしをきり/\とからはにあげにしに向て手を合なむさいはうのみだ
によらいたとへ後生三じうにつみなかふして十方浄土にゑらはれ申女也ともたゝ今の御経念仏のくりきに
よりはゝ上様ともろ共に西方ごくらく浄土にむかへさせ給へ十念たかくとなへ給ひいかにつね春はやくび
とれとの給へば八郎大刀ぬきもつて御くびきらんとしたりしが御すがたを見奉ればあまりあへなく大刀をかしこにか
らとすてなくより外のことはなしひめ君此よし御らんじてをろか也つね春さぼどにふかく成ものが父の仰をかうふりて
水からをちうせんため是迄ぐそくしたる身の心よはくてかなふまじ善につよくはあくにもしりぞくことなかれいかに/\と
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御とがも有まじきにやみ/\と打奉らん事御心ねのいたはしやと又さめ/\とぞなきいたりひめ君なみたともろ
共にくどき給ふぞあはれ成をやのにくむその子をば一もんうちのもの迄もにくむとこそ聞つるにいかなればつね春
は心やさしく候てわれをさやうにあはれむぞや今の御身が心ざし草のかげにてもいかでわすれ申べき見し
ものと思ひなばごぜをばとふてゑさすべしさのみにものな思はせそいかに/\と仰けるつね春承りあらいと
をしの御事やちぶさの母うへのうき世にましまさばいかでかくは有らんなさぬ中のあさましやとあんじわづらい
いたりしがきつと思ひつけ此君をうしないてをんしやうにあづかり千年万ねんをたもつべき身ならねばたとへ姫君
たすけ置わが身の事はさてをき一もんけんぞく引出されつだ/\にきらるゝともいかでたsけで有べきぞされ共けんし
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ものにかくといふわれもさやうにぞんずればいざやたすけ申さんとひめ君を引立奉りと有所にいほりを立
(五オ)
挿絵(五ウ)
挿絵(六オ)
つね春が女ばうよびよせつね春申やういかに三郎われは都へかへりひめ君の御事をいかやうにも申べし御身は是
にとゞまりて女ばうともろ共にひめ君をよきにいたわり給ふべしさらば/\と申つゝ都をさしてぞかへりけるかのつね春が
心ざしたのおしきともなか/\申斗はなかりけり
三たんめ
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かへり此よしかくとぞ申ける大じん大きに腹を立すいさんなるしだいかないながらのへんじふぎのいたり成べしいかにたれか
有りひをいわせずつね春をつれてまいれと仰ける承候ときれうの兵共廿よ人あいかたらい八郎がしゆく所にかけ付
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又けんしのものもいかゞ成候やらん是もしさいのしれざればくはしく御尋有べきにいそぎまいるべきと申けるつね春
聞て尤をの/\と同心申まいるべく候へども何とやらんけふは心のむかざれば重てまいりことのやうを申べしといひけれ
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/\左右にとひかゝれば八郎本より大刀何ほどのことの有べきとかゝるものを取てはなげ/\残るやつばら四はうへばつとをつ
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(六ウ)
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つね春此よし聞よりもかねてごしたることなれば大ぜいの中へわつて入爰をせんとぞたゝがいけるたせいにぶせい
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四たんめ
あはれ成かなひめ君はむなしきいのちをのがれつゝものうき山の御すまひ心の内こそあはれなりつね春うたれ
たるよしをかぜのたよりに聞召今はたのみもつき弓のやる方もなき御ふぜひされ共なかいの三郎とつね春が
女ばうをちぼをひろいものをこいよきにいたはり奉りむなしき月日をおくらるゝ有時にのぶ綱おもきやまふを引
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かいしやくせられをきなをりいかにひめ君さま扨それがしはしやばのゑんつきはてゝめいどのたびにおもむく也我よ
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中将ひめ女房も是は/\と斗にていへ入様にぞなき給ふひめ君なみだのひまよりもくどきことこそあはれ也
あゝ浅ましや水からは父上にはすてられつね春はうち死すかゝるさびしき山中にもなんぢをばたよりにてうき日
(七オ)
挿絵(七ウ)
挿絵(八オ)
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御矢おもてにかけふさがりもつたいなしと引とゞめにこういでんとしたりけりひめ君はすがり付やにばしあたり
(八ウ)
給ふなよ御身むなしく成給はゝ水からなにと成べきぞとなたにきたりましませとたもとにすがりなき給ふ
とよなり此よし御らんじていか様これはにんげんにうたがいなしことのやうをたづねんといかにそれなる女かゝる人ざととを
きしんざんにすみけるはいかなるものにて有けるぞ其なをなのれと仰けるひめ君立いで給ひつ御ふしんはことはり
なりわれ十三の時にけいぼの御きしよくあしくしてすでに此山にてうしなはれ申さんをさる郎等のなさけに
より今迄なからへ申也たとへ水からをうしなはせ給ふ共此あまごぜは水からにひとかたならぬちうの人にて
候へばたすけてたべとぞ仰けるとよ成おもひ合御身が父のなをばなにといふぞととい給ふはづかしながらなんば
の大しんといひもはてさせさせ給はぬにやれわが子有けるか父とよ成はわれなりとたがいにひしといたきつきまづ
さきだつはなみだ也ゆゝ有てひめぎみはいかにちゝ上さま水からかれがなさけによりいのちながらへ候へどもをやに
ふかうのともがらは三世のしよ仏ほさつも御にくみあると承る水から父上の御ふけううけしことなればいきがひ
さらに候はずとふししづみてぞなき給ふとよなりは聞召うらみはささこそおわすらんいつわりをしらずして御
身をうしない申せとは申つけ候へどもとしごろの人を見るたびに御身のうき世に有ならばかほどにこそ
おわすらめと思ひしのばれ候へば念仏申経をよみゑこふしたるしかしにや二たびあふたるうれしやとくどきな
げかせ給ひける御なみだをおしとゞめいざや都にかへり給へとの給へばひめ君は聞召さん候御とも申度は
候へどもけいぼの御事水からに一たんつらくましませどものちのおやをおやにせよと申たとへの候也此事おん
びんなり給はゝ御ともを申べししからずは此山にてくちはつべきとの給へばとよ成は聞召さても御身はじんぎ正しく
ましますよなとかく御身の心にまかすべしとの給へばひめきみ聞召そのぎにてましまさば御ともを申べし
いかに女ばういまひとたびのぶつなにいとまごいせばやとてつかのほとりにたちよりやあいかにのふつなよ
(九オ)
挿絵(九ウ)
挿絵(十オ)
御身がいひしそのことくちゝ上にあいまいらせわれはみやこへのぼる也くさのかげにてもさぞやうれしくおもふらんかゝる物
うき所にもなんぢになごりおしまれてあとに心がとまるぞやいとま申てのぶつなあゝなごりをしやとの給ひて御
こしに召れつゝみやこをさしてかへらるゝこれはさてをきたうみだひ此よしを聞召いかにとして中将ひめにたいめん申べし
しよせん此やかたを出あふましきとおほしめしよはにまぎれてやかたをいでしる人あればたつね行たのむよしをの給へ
とも此ものない/\つたへ聞なさけをすてゝよせざればとかく一もんをたのまばやとおほし召御身したしき御一
もんのかたへゆきたのむよしをのたまへども御みのやうにひとしからぬともがらは一もんのうちへはむやう
とてさもあらけなくをい出すいまははやたうみだひ身のをき所あらざれはしよせんうきよにながらへ
て人にゆびをさゝれんよりいかなる川にも身をしづめんとおもひきりあるふちへゆき給ひかなはぬまゝ
に身をなけてそこのみくづとなり給ふみだい所のさいこのていにくまぬ人こそなかりけれ
五たんめ
さるほどに中将ひめひばりさんより御かへりまし/\て月日をおくらせ給ひしがほどかくひめぎみ十
六さいになりたまふしかるにひめぎみきさきのくらゐにそなはりたまふにさたまればひめぎみ
おほしめすやうはわれ十ぜんまんようのくらゐにそなはり申ともむけん八なんのそこにしづみなばその
かいさらにあるまじき此たび世をいとわずはいつをかごせんまたはけいぼの御さいごもあさましくお
ぼしめしぼだひの心ぞいできける水からしのびいでん事ふかうのいたりに候へどもみづからじやうどへま
いりつゝちゝをむかへ申さん事しんしつのほうをんにてこそ有らめとおもふ心をさきとしてそのよにならを
いで給ひ七里の道をしのびつゝたへまをさしてぞいそがれける御寺なりぬればあるそうぼうに
(十ウ)
たちよりて出家の望をの給へば上人御らんじていまだおさなき御身にていかでとげさせ給ふべしとゞまり給へと
とめ給ふひめ君は聞召われはむゑんのものなればたよりとても候はずことにおやの御おんのため思ひ立て
候へばひらにおろして給はれと泪と共にの給へば上人あはれに思召さあらばけちゑん申さんとたけとひとしき御
ぐしをやがてをろさせひけりそのゝちかいをさづけつゝ則名をぜんにびくにと付給ふある時ぜんにびく本だうに
七日こもらせ給ひつゝわれ正じんのみたによらいをおかみ奉らずはもんこをば出まじきと大ぐわんを立給ひ一じき
てうさいにてふだん念仏申つゝ一ねんにかけてそこもらるゝ仏も哀におぼし召だい六日にあたり天平七年六月十
六日のとりのこくに五十あまりのあまとげんじ中将ひめの御そばに来り給ひ汝は正じんのみたをおがみ
たくははすのくきを百だとゝのへ申べしこくらくのへんそうをおりあらはして見せ申さんと仰給ひてあまごぜんけすがご
とくに失給ふあら有かたやと西に向手を合ねがふ所のかなひぬるとそれより御だうを出給ひ有ものを近
付父の方へまいりつゝ此よし申上て給はれとふかくたのませ給ひける承候とていそき行にまいりつゝ大臣
の御前にて此よしかくと申ける大臣ふしぎに思召やかてみかどにさんだい有此よしをそうもん有みかとゑいぶんまし/\
てやすからぬことに思召おしのうみむらちを召れせんじを下し給はれば畏り候とて一々次第にふれらるゝきん国の百せうら
ちよにおふして我も/\と付来りたへまの寺におろしをき国々にかへりけるぜんにびくに御らんじてよろこび給ふ所に
又あま御ぜん来り給ひかのはすのくきをおりいと引出し給ふ事有がたかりける次第也さて其後に御寺のいぬいに
あたつてにはかに池の出きたり水は五色にわき出る是にていとをそめ給ふいまに至迄そめどのゝ池と申也さてかのあ
まごぜんこくうをまねかせ給へば十七八の女せう天人のやう成があまくだらせ給ひつゝいぬいのすみにはたを立
三世の諸仏もらいこう有やがてまんだらをり給ふふしぎ成かな浄土の三ぶ経の中くわんむりやうじゆきやうの
(十一オ)
挿絵(十一ウ)
挿絵(十二オ)
一ぶしぢうをおりあらはし中将ひめの御前に置給ひこくうにうせ行給ひけりさてそのゝちにあまごぜんかのまんだらを御寺
の正面にかけ給ひ中将姫を近付おしへ給ふぞ有がたき是はみだの三ぞんあれは卅七そん爰はせうわう赤白こくの花さき
みだるゝ所也あれにおがまれ給ひしはほうじゆの本にしてみだの三そん法をとかせ給へばたほうせかいのせうしゆ来り給ひて
みだ仏をくやうし給ふ所也その外諸仏ぼさつと一々次第におしへ給へば中将ひめ御たもとにすがり付是ほとにあま御前
の大御おんをうけながら御おんをはうじ申さずはぼくせきにもおとるべし御なは何と申そ又いづくにかまし/\ぞにこうは
聞召中将ひめのいたゝきを三度なでさせ給ひつゝわれは是西方ごくらくせかいあるじあみだ如来也汝が心をさとり
つゝ是迄げんじ来たり又まんだらをおりたるは我が左のわきだちくわんぜをんぼさつ也ともにせうじ給ひつゝと
くうに上らせ給ひけりぜんにびくは御らんじて有がたし/\と三とらいはいなされける今に至迄たへまのいぬいに
くわんおんだうを立をかれしは是也然は中将姫たへま寺に十四年まし/\みた如来のちかいをあらはしあまねく
しゆ生を道びき給ふぜんにびくの御ほうりきたつとしとも中/\きせん上下おしなべてかんぜぬものこそな
かりけれ
六たんめ
さる間ほうき六年四月十三日のこと成に近国の者は此よしを聞よりもわれも/\とたへまの寺にまいりつゝきせんくんじゆ
をびたゝしくぜんにびくの給ふはいかにてう衆の方々水から生年廿九年明十四日には大わう生をとぐべき也こよひはをの
/\是につやを申されまつごのせつほうてうもんあれ水から女成共いつれもうたかかふ事なくしてよく/\さとり給ふべし悉も
しやくそんほうかいほんじと申奉る時此かいの衆生を西方こくらくせかいゑやり給はんとありしにあみだ如来かうほうざうび
くにてまします時かならずあんやうせかいへむかい取給はんとかたくせいやくし給ふかゝる有がたき二そんの御じひを
わきまへずうきよのゑいぐわにのぞみかなた此方とまよふ事まふしうといひいんぐわといひそのまゝ三づの大がに
(十二ウ)
しづみぐれん大ぐれんのこほりにとぢられがきちく生しゆら人天天道をるてんし爰にては生れかしこにては死し生々世々の其間
うかむよ更になからん事なんばう淺ましき事に事には有まじきやしかれ共みだ本願の有がたきはたとへ左樣のつみふかきあく
人也共只一心ふらんになむあみだ仏たすけ給へと申さん時そのまゝらいかうまし/\こくらくせかいの上品上生に道引給はん事
何のうたがい候べきよく/\てうもん有て念仏を申させ給へとたからかにのべ給ふにけいぼの母廿丈斗の大じやとなつて中将ひめの
説法をさまたげんと御だうの前に出給ひ此じや聲を上ていふ樣はいかに中将姫我をば誰とかおぼすらんはづかしながら御身の
為になきぬ母にて候也水からうき世に有し時思ひつめたる念力をいかでむになすべきとうろこをふるいつのをふりした
さしのべていひけるはおそろしかりける次第也中将姫御らんじて御泪をながしあら淺ましの御姿やか樣の御心にてこそ
じや道にはをち給へたとへに左樣にまします共水からへだつる心なしいとけなくして母におくれ御身を母とたのみしになさぬ
中と思召ねたませ給ふあさましや今よりのちはその悪念をふりすてゝ仏くわに至ましませと御てを合給ひつゝ
もろ/\の仏の中にぼさつの御じひは大じやうの御じひにてざいごうふかき女人あく人成共又はうぜうひじやうの
草木に至迄もらさずすくい給はんとの御ちかいにて有ければ水からがけいぼをもすくいとらせ給へとよく/\ねんくわんま
しましてそのゝちじやに打向いかに母上今よりあく心ふり捨て念仏となへ給へそも此みやうがうはしやかの一代にとき
あらわし給ひける諸経のくどくはみだめうがうの中におさまり候へばわう生ごくらくの望をとげんはうたがいなしかるが
ゆへに八万しよせう経かいぜあみだ仏ととけり此心をよく/\てうもん有てなむあみだ仏/\ととなへ給へとの給へはだち
まち大じやくるしみをのがれき成泪をながしあら有難の御事やかゝることとはしらずしあく念をつくる事のあさましや今より後は
御身をひとへにたのむ也道引給へとの給ひて大じや則仏くわをとげこくう上り給ひけり今にいたつてたへま寺の北にあたつ
てそめどのゝいけよりも四月十四日のねりくやうにじやのかたちしたる物出る事其かくれなしかくて其日もくれけ@@
(十三オ)
@@@@@人民あすはせんにびく御入めつと聞しかばそのよの明るを待いたり五更の天も明ければぜんにびく高座の
上より四方をきつと御らんじいかに方/\後生をねがふといつはみだの御なをとなへ申にしくはなしちしきの念仏も方々のやう成ぐちむ
ちの輩悪人女人の申されし念仏もへつにしやべつは候はす爰にさとりの眼の前にこしんのみだをおがみ申事有こしんのみだをしんじ西方の
みだをねがはぬはかへつてさとりの眼いらざる所也浄土宗のみるこじんのみだと申はみだのさとりを申也そのさとりの上に光明かくやくたる
御姿をあらわし念仏の行者を一々浄土へ道引給ふと也かるがゆへに浄土宗の心はみだ浄土正覚の内證をこつぜんとしてそのうへ
たちまちふしぎのそんようをげんじまよひをもさとりをももらさずすくい給ふゆへてうせの本ぐわんとは申也又むりやうしゅ経の
門に光明へんぜう十方せかい念仏衆生せつしやふしやととけり然に光明とは仏の身よりひかりをはなちあまねくてらし給ふを
いへり又十方とは東西しゆい上下を合て十方と申也せかいとは十方の国土也是まくらをしき心とは申也扨又しんごうとは十方の
国土にあらゆる念仏の衆生をばあまねくてらして念仏の行者の身をてらし給ふをしんくわうとは申也せつしゆとは則
おさめ取といふ心也又ふしやとせつしゆの力をくわへて念仏申す行者を守り御心をはなち給はねばふしやとは申也
一々此心を聞わけてなむあみだ仏/\ととなへ給へとたからかにのべ給ふさて水からも今日は四月十四日大往生をとげんとて
御心もよは/\と見へさせ給ひしが南むあみだ仏との給ひて御年廿九才にて大わう生をとげさせ給ふ御寺に
ありし人々さあらばのべにおくり奉らんとてあまたの御僧くやうしてのべにおくり給ひけりかゝる所に俄にしうんた
な引こくうにめうをんきこへいきやうくんじ花ふりみだの三ぞんあらわれ給へばぼさつみち/\中将ひめをすくいとらせ給ひ
けり有がたしともなか/\申はかりはなかりけり
右者大夫直之正本也
大伝馬三丁目
鱗形屋孫兵衛新板
(十三ウ)


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