トップページ 須田国太郎 能・狂言デッサンについて
明治24年、京都市下京区(現在は中京区)に生まれる。京都帝国大学で美学・美術史を専攻し、同大学院修了後の大正8年から同12年までスペインに留学。41歳だった昭和7年に東京銀座の資生堂画廊で最初の個展を開いて画壇にデビューした。以来、黒や褐色を主体とする深い精神性を有する画風をもって、近代日本を代表する洋画家として知られている。元芸術院会員で、京都市立美術大学教授をも勤めた。昭和36年に70歳で逝去。
須田国太郎が昭和2年ころから昭和32年ころまでのおよそ30年間、京都や大阪の能楽堂やホールなどで上演された諸流の能や狂言の名手の舞台をその場で描いたデッサンで、その総数は6000枚あまりにおよぶ。須田画伯に能・狂言のデッサンがあることは一部では知られていたが、その全容は美術界にも能楽界にもほとんど知られていなかった。その能・狂言デッサンのうち5000枚あまりが、平成13年に須田寛氏(当時JR東海会長)から大阪大学に寄贈され、あわせて大阪大学文学研究科において目録が作成されて、ここにようやくデッサンの全容が判明した。それによると、描かれた演目は能345曲、狂言が50曲、演者は48人で、演者はすべて当時の名手ばかりである。このたび、大阪大学附属図書館は文部科学省の平成17年度特別教育研究経費の配分を受けて大阪大学が所蔵する5000枚あまりのデッサンをすべて電子化して広く一般に公開することとした。描かれている舞台はすべて戦前から戦後にかけての名手の舞台ばかりで、どのデッサンも名匠が名手を描くという趣にあふれており、近代の能楽史料としてもきわめて貴重である。また、須田国太郎の画業はこのデッサンをあわせることによって、はじめて総合的な把握が可能になるのではないかと思われる。