懐徳堂文庫について

懐徳堂とは享保9年(1724)に大坂町人によって創設された学問所で、幕府の官許により江戸時代後半には全国的な学術ネットワークの西日本最大の拠点となり、大阪大学における人文学研究の原点となっております。

令和5年度に、本学グローバル日本学教育研究拠点と附属図書館で、懐徳堂文庫所蔵登録資料(52,035件)と画像データ(1,404件)との照合及び、画像データの書誌情報の確認を行った上で、国際的な画像相互運用のための枠組みであるIIIF(トリプルアイエフ)に準拠した画像の公開に向けて附属図書館とデータ連携プロセスを確立しました。この「懐徳堂文庫」では自筆本を含む貴重資料をデジタルアーカイブ化し、IIIFに準拠した高精細画像を世界に向けて発信しています。公開されている資料の中でも、懐徳堂学主中井竹山が寛政の改革を主導した老中松平定信からの諮問に応えた献策を、のちに1冊にまとめた著作の自筆本である『草茅危言』、懐徳堂に学び、のちに水哉館(すいさいかん)を営んだ中井履軒(竹山の弟)は、朱子の解釈を批判的前提としつ独自な経書解釈を展開した『論語逢原』は学術的価値が非常に高いものとなっています。