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2022-05-24
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dp2008-1tanaka
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論文情報
タイトル
關於三大報紙的《抗戰建國紀念日》社論的話語分析
別タイトル
「抗日建国記念日」に関する三大新聞「社説」言説分析
A Discourse Analysis of Editorials regarding the Resistance National Day of China
タイトル (ヨミ)
コウニチ ケンコク キネンビ ニ カンスル サンダイ シンブン シャセツ ゲンセツ ブンセキ
著者
李, 愛華
李, 愛華
田中, 仁
田中, 仁
著者の別表記
Tanaka, Hitoshi
Li, Aihua
著者 (ヨミ)
タナカ, ヒトシ
内容
大阪大學中國文化論壇 討論文件
Discussion Papers in Contemporary China Studies, Osaka University Forum on China
原著:田中 仁
訳:李 愛華
抄録
1938 年7 月4 日,中国国民政府は7 月7 日を「抗戦建国記念日」とすることを定めた。本稿の目的は,1938 年から45 年にいたる『中央日報』『大公報』と『新華日報』の「抗戦建国記念日」の社論を比較・検討することによって,日中全面戦争下の中国における陪都(臨時首都)であった重慶の抗日メディア空間においてこの戦争がどのように理解されていたのかを検討することにある。本稿の考察によって,(1)中国の抗戦は国家・民族の生存を賭けた戦いであり,中華民族の復興の起点であるという認識が単独抗戦期の三紙社論の共通認識として存在していたこと;(2)こうした認識が前提としていた抗戦の「正義」「公正」という正当性は,アジア太平洋戦争期にいたって「連合国」が掲げる諸理念と合致するものと見なされるようになったこと;(3)抗戦末期の中央日報がこうした論点の核心に「蒋委員長」の指導を置いたのに対して,新華日報は抗戦における「人民」の役割を強調するようになったことを確認した。
公開者
大阪大学中国文化フォーラム
公開者の別表記
Osaka University Forum on China
公開者 (ヨミ)
オオサカ ダイガク チュウゴク ブンカ フォーラム
掲載誌名
大阪大学中国文化フォーラム・ディスカッションペーパー
巻
2008-1
開始ページ
1
終了ページ
10
刊行年月
2008-12-10
URL
http://hdl.handle.net/11094/13404
言語
中国語
カテゴリ
ディスカッション/ワーキング・ペーパー DP/WP
大阪大学中国文化フォーラム・ディスカッションペーパー
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著者版フラグ
publisher
NII資源タイプ
テクニカルレポート
ローカル資源タイプ
ディスカッション/ワーキング・ペーパー
dcmi資源タイプ
text
DCTERMS.bibliographicCitation
大阪大学中国文化フォーラム・ディスカッションペーパー.2008-1 P.1-P.10
DC.title
關於三大報紙的《抗戰建國紀念日》社論的話語分析
DCTERMS.alternative
「抗日建国記念日」に関する三大新聞「社説」言説分析
A Discourse Analysis of Editorials regarding the Resistance National Day of China
DC.creator
李, 愛華
田中, 仁
DC.creator
Tanaka, Hitoshi
Li, Aihua
DC.publisher
大阪大学中国文化フォーラム
DC.language" scheme="DCTERMS.RFC1766
中国語
DCTERMS.issued" scheme="DCTERMS.W3CDTF
2008-12-10
DC.identifier" scheme="DCTERMS.URI
http://hdl.handle.net/11094/13404
DC.description
大阪大學中國文化論壇 討論文件
Discussion Papers in Contemporary China Studies, Osaka University Forum on China
原著:田中 仁
訳:李 愛華
DCTERMS.abstract
1938 年7 月4 日,中国国民政府は7 月7 日を「抗戦建国記念日」とすることを定めた。本稿の目的は,1938 年から45 年にいたる『中央日報』『大公報』と『新華日報』の「抗戦建国記念日」の社論を比較・検討することによって,日中全面戦争下の中国における陪都(臨時首都)であった重慶の抗日メディア空間においてこの戦争がどのように理解されていたのかを検討することにある。本稿の考察によって,(1)中国の抗戦は国家・民族の生存を賭けた戦いであり,中華民族の復興の起点であるという認識が単独抗戦期の三紙社論の共通認識として存在していたこと;(2)こうした認識が前提としていた抗戦の「正義」「公正」という正当性は,アジア太平洋戦争期にいたって「連合国」が掲げる諸理念と合致するものと見なされるようになったこと;(3)抗戦末期の中央日報がこうした論点の核心に「蒋委員長」の指導を置いたのに対して,新華日報は抗戦における「人民」の役割を強調するようになったことを確認した。
citation_title
關於三大報紙的《抗戰建國紀念日》社論的話語分析
citation_author
李, 愛華
田中, 仁
citation_publisher
大阪大学中国文化フォーラム
citation_language
中国語
citation_date
2008-12-10
citation_journal_title
大阪大学中国文化フォーラム・ディスカッションペーパー
citation_volume
2008-1
citation_firstpage
1
citation_lastpage
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citation_public_url
http://hdl.handle.net/11094/13404