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2022-06-27
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https://doi.org/10.18910/4899
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aes10-173
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論文情報
タイトル
遊びによる人間形成
別タイトル
A Study of Human-formation by the Concept of “play" : Induction from Fröbel to Plato
タイトル (ヨミ)
アソビ ニヨル ニンゲンケイセイ
著者
藤田, 博子
藤田, 博子
田中, 潤一
田中, 潤一
著者の別表記
Fujita, Hiroko
Tanaka, Junichi
著者 (ヨミ)
フジタ, ヒロコ
タナカ, ジュンイチ
内容
論文
抄録
本論文では遊びと人間形成との内的関係性を、フレーベルとプラトンにおける教育論を中心に考察する。まず遊びを近代美学が考えるような概念としてではなく、具体的な現実世界の活動として捉える。ガダマーは遊びを主客の対立が消失した真剣な活動であると考え、シラーのような現実世界を超えた仮想の世界の活動ではなく、まさに現実世界の活動であると考えた。本論ではガダマーの考えから自己表現と自己超越という視点に着目し、この側面から考察する。まずフレーベルでは遊びは単に子どもの活動であるだけではなく、大人の労作活動の基礎を形作る活動でもある。この活動は子どもの内面を外化するという意味で自己表現である。また子どもが遊びの中で神的生.命を感じるというフレーベルの主張は、自己超越にもつながる。一方プラトンの魂の育成論は単に個人の特性を伸ばすだけでなく、国家の中に生きる公民育成という要素を担っていた。魂の育成や正義の観念が間主観的意味を有していた点で自己表現であり、またイデア論のように現実の現象知の中においてイデアを観るという点で自己超越という側面を有している。このようにプラトンとフレーベルは遊びに関する近代美学批判に耐える思想性を有している。
公開者
大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
公開者の別表記
Department of Education Graduate School of Human Sciences, Osaka University
公開者 (ヨミ)
オオサカ ダイガク ダイガクイン ニンゲン カガク ケンキュウカ キョウイクガクケイ
掲載誌名
大阪大学教育学年報
巻
10
開始ページ
173
終了ページ
184
刊行年月
2005-03
ISSN
13419595
NCID
AN1055404X
URL
http://hdl.handle.net/11094/4899
言語
日本語
DOI
info:doi/10.18910/4899
カテゴリ
紀要論文 Departmental Bulletin Paper
大阪大学教育学年報 / Vol.10
論文詳細を表示
著者版フラグ
publisher
NII資源タイプ
紀要論文
ローカル資源タイプ
紀要論文
dcmi資源タイプ
text
DCTERMS.bibliographicCitation
大阪大学教育学年報.10 P.173-P.184
DC.title
遊びによる人間形成
DCTERMS.alternative
A Study of Human-formation by the Concept of “play" : Induction from Fröbel to Plato
DC.creator
藤田, 博子
田中, 潤一
DC.creator
Fujita, Hiroko
Tanaka, Junichi
DC.publisher
大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
DC.language" scheme="DCTERMS.RFC1766
日本語
DCTERMS.issued" scheme="DCTERMS.W3CDTF
2005-03
DC.identifier" scheme="DCTERMS.URI
http://hdl.handle.net/11094/4899
DC.description
論文
DCTERMS.abstract
本論文では遊びと人間形成との内的関係性を、フレーベルとプラトンにおける教育論を中心に考察する。まず遊びを近代美学が考えるような概念としてではなく、具体的な現実世界の活動として捉える。ガダマーは遊びを主客の対立が消失した真剣な活動であると考え、シラーのような現実世界を超えた仮想の世界の活動ではなく、まさに現実世界の活動であると考えた。本論ではガダマーの考えから自己表現と自己超越という視点に着目し、この側面から考察する。まずフレーベルでは遊びは単に子どもの活動であるだけではなく、大人の労作活動の基礎を形作る活動でもある。この活動は子どもの内面を外化するという意味で自己表現である。また子どもが遊びの中で神的生.命を感じるというフレーベルの主張は、自己超越にもつながる。一方プラトンの魂の育成論は単に個人の特性を伸ばすだけでなく、国家の中に生きる公民育成という要素を担っていた。魂の育成や正義の観念が間主観的意味を有していた点で自己表現であり、またイデア論のように現実の現象知の中においてイデアを観るという点で自己超越という側面を有している。このようにプラトンとフレーベルは遊びに関する近代美学批判に耐える思想性を有している。
DC.identifier
info:doi/10.18910/4899
citation_title
遊びによる人間形成
citation_author
藤田, 博子
田中, 潤一
citation_publisher
大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
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日本語
citation_date
2005-03
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大阪大学教育学年報
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13419595
citation_public_url
http://hdl.handle.net/11094/4899
citation_doi
info:doi/10.18910/4899